カテゴリ:腎移植(その後の出来事)( 72 )

この日は自分の腎移植ドナーである母の定期検査入院が1泊で行われる。
なにか難しいことがあるわけではないのだが、
貴重な腎臓を提供してもらったし、ドナーに何かあっては大変。
移植を受けた側が何かあるのはある意味仕方ないし覚悟はできるが、
もともと健康だったドナーには迷惑はかけられないしね。
仕事を終えてから、大学病院へ急ぐ。

しかし、年末年始はしっかり休めて恵まれていたが、
自動車学校が最近は常に土日入っているので、少々疲れはある。体調はいいけど。
手帳を振り返れば、11月18日以来、年末年始以外で完全フリーになった日がない。
あと少しなんだけどな、乗り越えたいところ。

夜の病院は独特の雰囲気でね・・・外来患者ももう帰っているし。
面会バッチを胸につけ、病棟へ。何号室だったかは聞いていないが、
おそらく腎病棟だから、フロアに行けばわかるだろう。自分もいたところだし。

腎病棟へ着くと、ナースステーションは引き継ぎも終わり、夕食タイムなので、
少しだけ慌ただしさが消えていた。そんな中で、
機器の端末にじっと目を向けているのは・・・立てた黒髪と眼鏡に見覚えが。
看護師のYくんじゃないか。そっと声をかけてみると、覚えていてくれたようだ。
「( ˘ω˘)さん!お久しぶりです、顔色もいいですし、痩せられましたね」。
優しい笑顔が変わらない。あぁ、なんか泣ける。
「そうだ、お母様入院されてましたものね」。

自分も移植一年後に検査入院をしたのだが、こちらの腎病棟が満床で、
糖尿病ではないけど、糖尿病病棟で1泊を過ごした。その際こちらのフロアにも挨拶には来たが、
Yくんとは会えなかったから、入院時以来だ。「もう4年目になりました」。
挨拶に行くのは面倒ではないが、彼らにとっては一患者でしかないから、
顔を見せるのはずうずうしいとか、意外に悩むんです。
いつも行く外来と、こちらを兼務している主任のナースさんがいるので、
様子は伝わっていたようだ。一部の人には売店で偶然会ったりもしてその時お礼を言ったりね。

話は戻って・・・そっか。
Yくんは自分を見てくれている時に1年目だったからな、もう4年目かー。たくましくなったな。
当時から丁寧な所作で思いやりのある彼にはずいぶんと助けられた。忘れはしない。
「Fさんもいますよ」とYくん。そこにFさんが登場。
腎移植の際のコーディネーターをしてくれたんだよな。いろいろ不安を取り除いてくれた。
特に移植前の不安とかをね。移植後の自己管理のこともアドバイスをくださいった。

やばいな。嬉しさとありがたさで泣くのを必死に堪えた。
ナースステーション横にある体重計も、廊下も、処置室も、あの移植手術の時を思い出す。
一般病棟に戻る時は、まだ体力もなくて、廊下の手すりをつたって歩いたわ。足も震えて。
2年前、確かに自分はここにいたんだな。社会復帰ができたことに心から感謝。

母は一番奥の病室にいるという。
カーテンを開けると、まあ元気にはしていた。検査ずくめだったようだが。
CTやら超音波やら24時間血圧測定やら、と。
移植後、母は自律神経失調症の傾向があって、まあ、移植も無関係ではないかも知れないが、
加齢や、こちらへの心配もあったのかも知れない。外来の時に骨折したことも。
でも、そこから母もすっかり落ち着き、ただ、念の為、と今回入院に。
定期検診は「予病」になるからね。実際、わずかだが前回は肺に結節が見つかったりも。
いろいろ迷惑をかけたなと思う。こちらがアラフィフになるというのにね。
ありがたさとともに、情けなさも体を覆う。
恥じ入るうんぬんより、健康を維持することが何よりの恩返しと思うしかない。

もっと気をつけよう。もっと大切に生きないと。
冷えた空気のもと、病院前のバスターミナルから駅に向かうバスに乗り、帰途へ。
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by navona1971 | 2019-02-01 23:59 | 腎移植(その後の出来事) | Comments(0)
今日で、2017年01月26日に行った生体腎移植手術から丸2年が経過しました。
いよいよ移植後3年目に突入します。これまでを振り返りたいと思います。

◆慢性腎不全闘病年表
2003年09月 少し体に怠さを感じはじめる。
2003年11月 腎不全でA大学病院に入院 51日間入院
2013年07月 腎機能低下により人工透析導入(腹膜透析によるAPDを選択)。
       17日間入院。ここから自宅での腹膜透析を開始。
       併せてA病院主治医が腎移植を提唱。B大学病院を紹介。
2014年06月 B大学病院へ紹介状持参で初訪問。母のドナー検査開始。
2015年03月 腰に蜂窩織炎が発生(低温やけどが原因)で入院17日間
2016年01月 腹膜炎と腹膜透析カテーテル位置不良で89日間入院
       ※早期移植のため休職を決断。併せて血液透析の併用開始(週1回)
2016年06月 体重が落ちないため移植準備を保留していたB病院へ再訪開始。
2016年07月 母から腎臓移植する方向を決断。
2016年08月 減量加速のため、血液透析を週2回に増加
2016年09月 母、ドナー適性を把握するため検査再開
      (前回検査結果は2年以上経過しているため無効)。
       その結果、ドナー適性問題なしと判明。
2016年11月 翌年01月の腎臓移植手術決定。血液透析を週3回に増加
2017年01月 B大学病院に入院、腹膜透析カテーテル抜去手術実施も、
       腹部に軽度の腹膜炎が見られたため移植手術を2週間延期。
2017年01月 26日に移植手術実施(10時~15時くらい)
2017年02月 退院、ウォーキングなどのリハビリ開始。
2017年05月 社会復帰、会社への勤務再開
2017年06月 サイトメガロウイルスに発症、17日間入院
2017年07月 再社会復帰
2018年02月 水痘発症。6日間会社を休む
2018年10月 徒歩、階段運動増強を図る(1日12,000歩目標)
2019年01年 移植2周年、3年目に突入
※自分の腎不全の原因は高血圧による腎硬化症です。

◆ドナーの母に感謝
移植手術を施術したB大学病院のS先生は「移植は健康な人の体にメスを
入れるので、本来ならやらなくていいことなのです」と慎重さを説きました
また、提供を申し出てくれた母にもひたすら感謝の気持ちです。
いくら健康な人なら腎臓をひとつ摘出しても言いとはいえ、大変なことですから。
術後母が自律神経失調症を発症したのですが(現在はほぼ治癒)、
主治医から「因果関係はないから」と言われましたが、責任を感じましたね。
ちなみに、ドナーとして手を挙げても、健康上の理由でドナーになりえない人も
多く、ドナー候補の検査では、約半数が不適になる結果もあったりしますから、
その点でも、自分は恵まれていたんだなだと思います。

今の若い人は知らないでしょうけども、日本のドンと言われた
日本船舶振興会(現・日本財団)の長をされていた笹川良一氏の言葉で、
確か還暦近い彼が、90歳くらいになった母親を背負って、
香川県にある金比羅宮の階段(約800段)を登った際に、

「母背負い 宮のきざはしかぞえても かぞえつくせぬ母の恩愛」と詠みました。

長い金比羅宮の階段の段数は数えられても、
母の愛情は数えられませんよ、と。それは今になり思い知らされます。

◆親族、友人に感謝
入院中にいろいろサポートしてくれた父、姉、義兄にも感謝です。
後期高齢者の父に見舞いにきてもらうのは情けない限りでしたが。
姉夫婦宅とB病院が近かったこともあり、頻繁に来てもらいました。
また、義兄にも多忙な日々をぬって顔を見せてくれ、車を出してくれるなどの
サポートも頂きました。時間つぶしに頂いた本も助かりましたね。
友人、特に高校時代からの親友はよく来てくれ、激励してくれました。

◆病院のみんなに感謝
最初に入院したA大学病院、そして、移植を薦めてくれた先生、
さらに、紹介先のB大学病院の皆さんには本当にお世話になりました。
親身になってくれました。すべてが素晴らしい方々で、
自分がいかに恵まれたかを改めて実感します。
昨年、最初に診てもらったA病院で、B病院との移植連携懇談会が病院
関係者内で行われた際、ドナー代表として参加させていただき、
A病院の皆さんへ元気な顔を見せることができたことも嬉しかったです。
(もちろん、移植後に挨拶には別途伺っていますが)。

◆会社と同僚、上司に感謝
度重なる入院にもかかわらず、文句のひとつもなく自分を待ってもらい、
また、長期休職を提案してもらったことにより、移植準備に集中できました。
そうした計らいには大きく救われました。そして、直属の上司にも
とにかく焦らず、と助言を受け、落ち着いて治療できましたね。
お見舞いに来てくれた同僚にも感謝です。

◆そして自分で振り返ってみて
自分の不摂生な生活による自業自得の出来事だから、自分で自分を責めるわけです。
他人のせいにしたり、不貞腐れるほど幼稚でもないですからね。
だからこそ、そこには苦しみましたね・・・
あと、今でも思い出すのは・・・いろいろあるな。

・最初の腎不全の入院で3度意識を失ったこと。
・蜂窩織炎になった時、CRP(体の炎症度)が26.5を記録した時のこと。
 (なお正常値は0.3)。前日新潟出張で、もう半分朦朧としてた。
 死ぬんじゃないかと思ってたし、それも仕方ないと思ってた。
 それをどうにかする気力もなかったし。出張から戻り即入院で・・・
・腹膜炎での入院も大変だった。89日間だったもん。
 苦しくて苦しくて。深夜2時にタクシーでA病院へ。
 腹膜透析のカテーテルがずれたこともあって、入院が長引いた。
 夜中、酸素マスクが煩わしくて、朝までが永遠に感じたわ。
 などなど、思い出せばきりがない。

一時は生きる気力を失いかけた時もありましたね。
申し訳なさがいっぱいで、それでも自分は動けない、と。
そこから見ると、今が夢のようです。

◆3年目に向けて
尿から微量のたんぱくと、わずかな血が常に検出されています。
実は移植直後からで、腎生検(腎臓に細い針を刺し、細胞を調査する)では
原因がわかりませんでした。もともとなのか、また移植した腎臓のものなのか、
はっきりしません。今のところは経過を見ているところです。
腎生検は定期的に行いますが、もしかしたらこの春もやるかもしれません(1泊2日)。
自分としては、もう少し体重を落としたいところです。なお、血糖値は極めて正常です。
あと、免疫抑制剤はしっかり飲めています。

移植後はサイトメガロウイルスにかかりましたが、
これはドナーの母が感染歴があったので、それが移植腎を通じてこちらに来て、
移植後発症、というパターンで、主治医曰く「よくあることで、最初の発症時は
重くなりがちだけども、ひとまず発症さえしておけば」みたいな感じらしい。
おかげで再発はないし、一度かかった水痘も、母の帯状疱疹から空気・飛沫感染したらしい。
幸いにもインフルエンザ、風邪には移植後一度もかかっていません。
特に風邪になっていないというのは自分でも意外でした。
お茶を好んで飲んでいるので、殺菌効果でもあるんだろうか・・・
朝はいち早く家を出て、ウイルス感染の元凶である満員電車を避けてるのもあるかな。
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◆最後に
でもね、自分は腎不全、腎移植をしてよかったと思っています。
たぶん、こうならなかったとしても、不摂生や適当な生活をして、
他の病気にかかっていたりしているはずだから。
あと、最近は先行的腎移植といって、透析をせずに、腎不全から腎移植、という、
流れをたどる人もいるそう。腎移植はおそらく、いずれもらった移植腎も機能を
低下していって(慢性拒絶反応=避けられない)、透析になるのだけど、
一度透析を経験していると、ああ、透析ってこういうものか、という覚悟のようなものが、
できるような気がするのね。あくまで個人的な感想だけどね。
もし、透析を経験しないで移植すると、より絶望感があるのではないかと感じたり。
自分は腹膜透析もやっているので、むしろ血液透析が楽に感じました。
ただ、もちろん時間が取られるのでね、それは大変なことだけど。針の痛みもあるし。

◆みなさんへ
自分の体を大事にしてください。

by navona1971 | 2019-01-26 23:58 | 腎移植(その後の出来事) | Comments(0)
いやいやどうも。
この日は会社が加盟している健康保険組合会館で健康診断です。
いや、自分は腎移植もしているし、"不"健康診断か・・・。
自宅から朝食を摂らず、そちらへ直行。なので、朝はゆっくり目の出勤。
そうは言っても8時台の電車で、これはこの路線の混雑度がピークになる時間帯。
学校も冬休みで、有給休暇を前倒しで使う人もいるだろうから、いつもより空いているはず。
それでもこの混雑。最近朝早く会社に行ってるから久々に味わうが、ひどいもんだ。
よくみんな耐えてるな。まあ自分も耐えていたんだが。じっと目を閉じる。

副都心線北参道駅で降りる。ここは副都心線ができて便利になったね。
会館へと急ぎ、受付へ。さすがに空いている。健康診断自体は無料だが、
自費で腫瘍マーカー検査を受けられるというので、お願いすることに(4,000円)。
まあ、自分は免疫抑制剤を服用しているし、人よりガンの発生確率はアップするから。

身長は若い頃より1cmくらい少なくなっていた。
「もう一度測定しますか」と女性スタッフが気遣ってくれるが、
「髪が薄くなったからですよw」と言うと笑ってくれる。だってそうだもんw
あとは血圧やら視力やら問診やら。移植のことも打ち明けておく。
奇数年齢は歯科検診も。磨き残しが前歯の裏側にあるという。あー、そこは確かに。
電動歯ブラシなんですけどウィークポイントかも。
いい歯磨き粉がないかと尋ねると、リステリンの液体歯磨がいいという。
口の中全体に液体行き渡り、殺菌効果が大きいから、と。
(ちなみにこの日、帰りに買ってみた。しかし、風味がなかなか強烈)。
検診をすべて終えると、ここ、健康保険会館2階にあるレストランの6割引券をくれた。
ろ、六割?すごい割引率。朝食抜きで受診したご褒美だろうか。
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レストランではミックスフライランチを。朝食兼昼食で。のんびりした時間。
暖かくて、しょっぱくなくて美味しい。すっかり薄味人間になったからさ。
しかしメールをチェックすると検診中もいろいろ届いていた。
会社に戻ってまたバタバタ。その後は外出。落ち着かない。
ただ、明日だけはさすがにのんびりできそう。いよいよ仕事納めも迫る。
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by navona1971 | 2018-12-27 23:59 | 腎移植(その後の出来事) | Comments(0)
いやいやどうも。
まあ、エディー・バウアーだから、あくまでアメリカンサイズではあるが、
ついに、人生初の「M」サイズを着用するところまで来た。

昨日、これを着て駅前で30年来の親友と待ち合わせた際「気付かなかった」と。
「痩せたよね、本当に痩せたよね、わからなかった」と褒めてくれる。
彼は自分の最盛期(最悪期)も常に見ているので、彼が一番わかる立場でもある。
その彼が自分を「痩せた」と言ってくれるのは最も嬉しかったりする。
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by navona1971 | 2018-11-19 23:59 | 腎移植(その後の出来事) | Comments(0)
いやいやどうも。今日は月に一度の定期外来です。
2017年01月に生体腎移植を受けてから、このように通って、採血と採尿を行います。
仕事が休みの土曜日ではあるけど、会社に行くのと変わらぬ時間に家を出る。

最近は最低でも12,000歩を歩いているし、自宅から駅まで、バスに乗らず、
階段が200段以上ある「山ルート」を通って通勤しているから、
体調もいいし、無謀な食事もしていないから、結果はきっとよいはず。
ただ、腎臓機能のメインな指標であるクレアチニン値は筋肉に負荷がかかると、
値が上昇するので、こうした運動の影響で若干、数値の変化がある、と推定する。

検査を終え、診察に。
移植前からずっと支えてきてくれた師長のS女史は、「すっきりしましたね」と。
診察前の血圧測定も126-88と安定。いい感じだ。
少し待ったあと、診察へ。泌尿器外科のN先生。問題なく推移している、と。

やはりクレアチニンは若干上向きに。しかし想定の範囲内。
他の数値も問題ない。嬉しかったのはBUN(尿素窒素)の数値は健康値だったこと。
BUNは血中の老廃物の濃度を示し、

高ければ腎臓で濾過しきれていないことを意味するから。とにかくよかった。
あ、そうそう、診察のあと、念の為腹部の超音波検査を久々に行う。
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帰りは姉夫婦宅へ立ち寄り。手土産はKEYUCAのケーキ。
自分はショートケーキ。意外にショートケーキって食べる機会ないよね。
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あと、渡す予定だったiPadの初期設定などを終える。
今はかならずIDやメールアドレスと紐づくからネットの利用も何かと最初が面倒だ。

さて、昨日は10,000歩しか歩けなかったから、少し歩くことにする。
港北ニュータウンにくまなく広がる遊歩道の中を帰りがてらウォーキング。
どんぐりも道端に多くあり、木々も色づいたり、枯れてきたり、晩秋の雰囲気だな。
ああ、気持ちいい。空気もおいしく、自然を感じます。
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夕方は友人S氏とお茶。反町駅まで。電車を降りると長い階段が。
以前なら目をそむけてエスカレーターへ行っただろう。
今なら登ってみようという気になる。
世間の人から見れば驚くほどのことではないが、
自分にはこんなことも幸せに感じたりするのよ。
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反町は喫茶店とかあまりないのね。ま、こぶりな町だから。
東神奈川まで出て、イートインのある素敵なパン屋「Pain de U」で軽めの夕食+お茶。
写真を撮り忘れたが内装もオサレ。
帰りに見た夜の町に浮かぶ鎮守が気に入って一枚。
夜景はHUAWEI P20Proの真骨頂。
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最後も最寄り駅から歩いて帰宅。20,577歩(15.7km、720カロリー)達成。

by navona1971 | 2018-10-27 23:59 | 腎移植(その後の出来事) | Comments(0)
いやいやどうも。
ようやく、ちょっとまとまってブログを書く時間ができた。
いや、忙しいわけじゃないんだけどね別に。
この日は月1回の腎移植に関しての外来定期診察日です。
おそらく大きな変化はないのだろうとは思うが、やはりいつも緊張はある。
そして、最寄駅から病院に向かうバスに乗る際、後ろの方の二人がけシートに座った。
狭いしあまり座りたくはないのだが、それでもすんなりすぐ、となりに女性が座った。
なるべく体を小さくしていたのもあって、座りやすかったのかも知れない。
ささやかな幸せを感じつつバスは進んでいく。ってその程度で幸せかよ、ってのはあるけど。

いや、本当に昔を考えたら、あの席に座るなんて考えられないよ。
まだ体は大きいけどさ。別に座らなくてもいいのだが、
ここは路線が長くて、病院までスムーズでも20分以上はかかるから。
バスの前にはショートカットの似合う妙齢の美女が乗っていた。
歴史小説を読んでいて、あぁ、きっと聡明な人だなと思ったら病院で降りた。
通用門の方に消えたから、女医さんかな。見たことはない人だけど。

バスを降りて採血やら。そして診察を待つ。検査が終わったので遅めの朝食。
病院にコンビニが併設されているが、朝食を取りたいものの、いつも悩ましい。
なにせどれも塩分がたっぷりなのだから。
だいたい、コンビニの食品はカロリーとともに塩分が明記されている。
塩分表記ではなく、ナトリウム容器も多いが、それは塩分に換算する必要がある。
それは簡単で、ナトリウム1,000mgの場合は、塩分2.54g。つまり1000を1にして、
2.54倍すればいい。よく「NA1,800mg」と書いてある(焼きそばあたりとかだと)、
この場合、塩分量は4.57gにもなってしまう。本当に怖いんだよねえ塩分は。
高血圧を呼び起こし、過剰な水分摂取も招き、むくみも発生するから。
なので、この日はざるそば。それでも気が進まないが、つゆは軽めにつける。

で、診察。
今日はN先生。土曜日の診察は交代制になって、専任という感じではない。
先生方も休みを取らなければならないからね。
それに、今の自分は一応安定しているし「この先生でなければ」みたいなのはないから。
ここの病院はみんな情報交換や連携がしっかりしているから、誰にでも任せられる。
検査結果は特に問題なし。そうだろうと思ってもやっぱり安心する。
この夏はよく乗り切れた(まだ終わってないけど)。

診察室を見回すと、苦しそうにしている人、足をひきずる人、
家族に支えられながら、そして、車椅子の人もいる。みんな大変だ。
そして自分はきちんと自分の足で立ち、早歩きで進むことができる。ありがたいこと。
なにげないことが、どれだけ貴重なのか。自分も忘れないで肝に銘じなければ。
でも、自分は腎臓病になってよかったと思います。誤解を恐れずに言えば。
特に病気にもならなかったら、慢心するでしょうしね。
診察を終え、病院と自宅の中間地点にある。姉夫婦宅に立ち寄り、ランチを頂く。
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義兄は転勤中なので、広いマンションもガランとしている。
やっぱりいないと張り合いがないなあ。会社で「だまさん最近プロレスの話しませんね」
と同僚に言われたが、そうだな。義兄と一緒にPPV見るのが恒例だったからな。ビックな試合は。
週末は2度目の金沢訪問を予定しているので、楽しみですわ。
姉からSuicaペンギンと紀伊国屋のコラボZIPロックをもらった。かわいい。
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そうそう、で、毎回検査結果を印刷してくれて、それを頂くのだけど、
かなりの量になったので、処分することに。ただ捨てるのではなく、
主要な数値の部分はExcelに入力して、推移を見守ることにする。
もちろん、病院でもそれはやってるのだが、自分でも見ていかないとね。
悔いのないよう、しっかりとした移植生活を送らなければならない。本当にね。
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by navona1971 | 2018-08-25 23:59 | 腎移植(その後の出来事) | Comments(0)
いやいやどうも。
これを先日購入したASUSのE203MAで書いていたら、いきなり落ちて、
それまで書いていた長文が一気に消えて萎えていてようやく気持ちが回復しました。
いつもは書きやすいのでGmail上で書いているのだけど(常にバックアップされることもある)、
よりによってメモ帳で書いている時に限って落ちた。まあASUSだからさw
これを書いているのは7/22(日)の朝なのだけども。

ってことで、この日は月1回の定期外来日です。
移植以後、腎臓内科と、泌尿器科外科を交互に診察する仕組み。この日は腎臓内科担当。
I先生。診察結果は問題なし。ここのところ、クレアチニンがほんのわずか上昇傾向にあったが、
今回ははっきり低下。もともとこの上昇も「誤差のうち」「気にするほどではない」と先生は前々から
話していたので、さすがその通りという感じ、暑くなるまで、かなり歩いたりして運動量はあったので、
その影響だろうとも言っていた(筋肉が破壊される=運動をする)と、クレアチニンが上昇する。筋肉量が
多いと、また上昇したりもするしね。とにかく安心。
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そう、今日はI先生が診てくれたが、腎臓内科で俺を長らく担当してきてくれたY先生はこのほど、
米国留学することになり、離任された。非常に人柄もよく、人格者で技量もある方だったので、
残念な面もあるが、この病院にまた戻ってきて、ご活躍されるためには、通るべき道なのだろう。
「私たちも挨拶すらあまりできずに」とナースも話していた。忙しいのだろうな。

診察を無事に終えたあとは、帰宅、とか婚活イベント、のはずだが、今日は仕事にからむ用件で、
東京理科大学理工学部に行かねばならない。で、どこにあるかというと、千葉県野田市。
最寄り駅はどこなんだ、ってことだが、東武野田線運河駅のすぐ近く。
ここからだと東京を縦断して反対側に行かねばならない。でも行くしかない。
千代田線を使えば乗り換えなしに柏まで行けるが、それはつまらないし飽きてしまう。
渋谷から副都心線で池袋に出て、山手線~常磐線で柏。そこから東武野田線に乗り換え。

東武野田線というと、ダサいイメージが植え付けられていたが、最近「東武アーバンパークライン」
という愛称もつけられ、つくばエクスプレスの開通で都心へのアクセスも改善され、イメージが上昇中。
車両もこれまでは東上線や伊勢崎線に優先的に新車が投入されていたが、野田線向けの新車も導入された。
そんな中で今日乗るのは8000系。ひと昔前はいつ乗っても東武線だとこれだったが、だいぶ数を減らした。
高度経済成長期らしい武骨なデザインがいいのよ(なお、正面は更新工事がされている)。
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ここから運河へ。10分ちょっとで到着。
駅の名称が面白いよね。「運河」駅。
由来は、江戸川と利根川を結ぶ「利根運河」にちなんでいます。
利根運河は明治に開削されて、銚子方面や栃木方面と東京を結ぶ最短ルートとして、水運に貢献しました。
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ところが鉄道網の急速な整備にともない、短い期間でその役目を失い、
一時は荒廃したそうですが、自然保護の観点で今は整備が進んでいるようです。
駅からすぐの「ふれあい橋」を進む。これは確かにのどかで、いい風景ですよね。
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橋を渡れば野田キャンパス。研究室で職場の後輩でこの研究室のOB、Hくんと合流。K教授とも会う。
90分ほどやりとりをして、無事に終える。学生の指導で部屋に残るHくんと別れ、駅へ戻る。
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ここからは松戸競輪場に向かいます。今日からトップレーサーが集う「サマーナイトフェスティバル」が開催。
なんていうか、理系私大の雄である理科大から鉄火場の松戸競輪という、上流から下流への動きw
再び柏駅へ。帰りに乗ったのは10030系。ここに移籍するまでは東上線を走っていました。
ながらく各駅停車だけだった野田線も、このように急行が走り始めるように。
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ただ、このまま松戸競輪場に行くのは早すぎる。喫茶店でひと休みもアレだし・・・
今日は朝からずっと出ずっぱりなので、ひとっ風呂浴びたいと思い、探すと、
南柏駅からすぐ近くに「湯パーク南柏」なる銭湯が。行ってみよう。
駅に電車が近づくと、煙突が見えてきた。あれかな。
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本当に駅前で、3分程度かな。レンタルタオルとシャンプーと石鹸で700円。
脱衣場はよく冷えていてきれいで、浴室も広い。浴槽はゆとりがある。
さらに、湯船の上に大きな液晶テレビがあり、大相撲を放映している。サウナにテレビがあるのは
よく見かけるが、一般の浴室に、しかも湯船の上の壁面にあるのは珍しい。
なかなかいいお湯。露天風呂も楽しんだが、この暑さで外と中の温度差がない・・・。
最後は水風呂ですっきりして、松戸競輪へ向かいましょう。
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by navona1971 | 2018-07-14 23:59 | 腎移植(その後の出来事) | Comments(0)

先月の定期検診の際、移植手術を執刀してくれたS先生から、一枚の紙を見せられた。
「だまさん、これによかったら顔を出してください」。
そこには「腎移植交流会議」の文字がーーー。

開催告知文面に目を通すと、こちらの大学病院と、自分が2003年に初めて腎不全で入院し、
移植手術を行うまで診察してもらっていた大学病院が合同で、
腎移植に関して、連携体制を深めるための会議を行う、とある。

で、自分はまあ、その連携によって移植が成功したわけだし、ということ。
「私たちがあれこれ話すより、移植をした患者さんをお連れするのが一番いいですし、
前の病院の皆さんにも顔を出せますしね」とS先生。

移植後は一度、前の大学病院に挨拶とお礼に伺ったが、その後は訪問しておらず。
それは、顔を出すこと自体はいつでもできるし、したいくらいなのだが、
移植手術自体がひとまず完了したわけで、いつまでも患者面して行くのもなあ、と。
先生は多くの患者を抱えてるから、こちらからの視点ではたったひとりの先生だけども、
あちらから見れば多数の患者のうちのひとりでしかないから、遠慮してしまう部分もある。

お言葉に甘えて、伺うことにする。今後に向けて移植への知識も蓄えたい。
内容は専門的なことだが、腎移植に関しては自分もそれなりに詳しいので、好奇心もある。
ただ、こうしていつも自分に気遣ってくれるS先生には頭があがらない。

そして、木曜日、定時で仕事を終えて、急ぎ気味で夕方、以前の大学病院へ。
昨年挨拶に来たのは3月だったっけな。1年3か月ぶりか。懐かしい。
あまり変わってはいないが、細かな変化も見える。
とにかく、2003年から、2016年まで通い続けたからねえ。
入院もしたな。2003年に最初の腎不全で51日、2013年に腹膜透析手術で17日、
2015年に蜂窩織炎で17日、2016年に腹膜透析カテーテル位置不全で89日、合計174日だもの。
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今回は医師、薬剤師、ナース、理学療法士など、医療関係者のみが集まるもの。
なので、病院の奥にある職員専用管理棟へ足を進める。当然、長年この病院に来たけど、ここは初めて。
第一会議室だったけな。部屋へ入るとここでの主治医だった部長のO先生が。
「だまさんもいらしたんですか!」。執刀医のS先生は事前に伝えていなかったらしく、
驚きとともにこちらが多少なりともスリムになった姿、そしてそれを維持していることを喜んでくれた。

また、O先生の部下の医局員の方、透析室のナース、理学療法士の方なども集まってきた。
名前こそ全員覚えているわけではないけど、顔はしっかり覚えている。いろいろお世話になった。
こうしてお会いでて、直接お礼ができて、来てよかったと思った。

内容は3編。
・腎移植全般に関する最近の動向
・腎移植の流れ(手術そのものや手術前~後なども含めて)
・質疑応答
いずれも説明は移植を行っている当方が今通っている大学病院から行われた。

自分も同席してすべて話を聞かせてもらったが、非常に参考になった。
初めて知ったことも結構あった。例えば、一見、健康でドナーに立候補しても、ドナーへに向けた
検診の結果、問題が発生してドナーになれない人が予想以上に多いこと。
何らかの疾患などを抱えているとか、完全に健康じゃないとだめなわけで、意外にハードルは高い。

先生も自分に話してくれたが、ドナーにとって腎臓摘出は医学上のメリットは何もないわけで、
やらないならそれに越したことはない。だけど、レシピエントを救うために行う。
だからこそ、絶対にドナーの安全は守られなければならないしね。

また、移植後の生着率(腎臓が何年持つか)も触れられていた。最新の数字がね。
オレもこのくらいの数字まで持ってくれれば、嬉しいな。もっと節制しなきゃな・・・。

貴重だったのは、手術の様子の動画だった。ドナーからは腹腔鏡手術で腎臓を摘出し、
レシピエントの体内に入れて血管や尿道などをつなぎ合わせるのだが、ものすごいことなんだね。
自分とドナーである母はあれと同じことをしてきたのか、と。
執刀したS先生はニコニコ、明るく楽しい方だが、その先生の腕でこの幸せが達成されたのかと。
いろんな感動があったな。そうそう、S先生からはこの2つの病院の連携事例として、
当方の移植手術の経過についても説明が行われた。当時の体重の多さが恥ずかしいけどね。

途中、S先生とともに説明を行ったY先生が「ではだまさんにここで移植について感想を」と、
マイクを向けられた。こちらからは皆さんへのお礼と、今の良好な状態などに触れ、
また希望もあったので、金銭的な面の負担について、患者側からお話させて頂いた。

最後には短い時間だが和やかな質疑応答のやりとりもあり、約90分で終わった。
お開きのあと、お礼をまだ伝えていなかった参加者の方に挨拶をして辞する。貴重な時間だった。
本当に参加することができてよかった。

帰りは病院から駅に続く商店街を進む。見上げると七夕の飾りが揺れていた。
ここには無数に来たから、ここも無数に通り抜けたが、あの頃の足取りは重かったな。
もっと節制しないとな。今日は自分への戒めにもなった。健康は大事。
あと、自分は本当に恵まれていたんだな。幸運だったんだな、と。やっぱり痛感しましたわ。


by navona1971 | 2018-06-21 23:59 | 腎移植(その後の出来事) | Comments(0)

父が緊急入院することに

仕事を田町で終えたので、品川へ出て、横須賀線を待っていると、スマホが鳴る。
母からで、父が緊急入院したとのこと。かかりつけの病院は、横須賀線に乗れは30分で着く。
立ち寄る必要はないと言われたが、母も年齢を重ねているし、出向くことに。

駅前からタクシーに乗り込み、病院へ。幸いにも一報後からはスムーズに、予定より早く到着。
入院準備中で、救急系の診察室にいた。一度今日診察があり、CTなどを撮影したあと、帰宅したそうだが、
「すぐに入院の用意をして来てください」と呼ばれたそう。

循環器内科の女医さんが話してくれた。「大動脈解離」とのこと。
体の中心部を伝う「大動脈」血管の幕が破れ、破裂しかねない状態になっていることの総称。
どうもその幕は三層程度になっていて、その一部が破れたそう。すべて破ければ重篤だね。
あと、体のどの位置でできるか、ということもカギになる。

父はその幕の層の内側だけ破れたのと、できた場所が腹部の下寄りだそう。
これが胸のあたりできたりすると厄介だそう。中には一気にやぶれてそのまま死に至る人も多い。
自分の知人も、大動脈瘤の破裂で自宅にて早朝急逝したし。

原因は動脈硬化。まあ、高血圧やたばこだね。
父は80歳で、今まで大病は皆無。驚異的な体力の持ち主だが、お酒は中学生から飲んでいたしww(実家で作って)。
まあ、もう時効ですけど、コメ農家でしたから「どぶろく」ってヤツですね。
タバコも今でこそ一日5本程度だけど、若い頃はショートホープとか吸っていたしね。
まあ、昭和の早い時期に育った世代なので、男の娯楽なんてお酒とタバコくらいしかないよね。
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ただ、運動をよくするのと、体重は変化させることなく節制してきた部分はあった。
なので、今でも見た目は健康な状態、には見えていただけどね。

車いすに乗せられた父はやけに小さく、老けて見えた。
日々の生活に関する記述や、細々とした対応を済ませる。そして無事に病棟へ。
先生によれば、大事には至らないため、降圧剤と点滴治療で二週間くらい加療かな、とのこと。
なかなか父は悪運が強い。「もういつでも逝っていいよ、悔いはないし」という。

なんかさんざんマイペースというか、好きに生きてきた人なので、
多分、死に際はあっさり、迷惑かけずに、という予感が前からしていたんだよな。
ひとまずナースと医師にお礼を伝え、辞する。
病棟は医療機器の作動音が廊下でわずかに響き、あとは静まり返っている。
ああ、この雰囲気思い出すな。移植までは入院多かったからな、自分。もう慣れてしまった。
でも、今こうやってこの空気に触れると、今は来たくない場所だなと思う。それだけ調子がいいからか。

昨年、母が調子を崩した時はドナーだったこともあってこちらもかなり心配したが、
父の場合は「あー、来るべき時が来たかな」と冷静w 
世間より父親と過ごした時間は長かったので、まあ、受け継ぐべきものは受け継いだから。
多少癖のある人ですが基本的に優しいので、それはいい親だったのかなと思います。
死んでもいないのに回顧しちゃいけませんがw


by navona1971 | 2018-06-11 23:59 | 腎移植(その後の出来事) | Comments(0)

定期外来と義兄の転勤

更新が遅くなりすいません。この日は腎移植後の定期外来。
しかし、朝、薬の服用前に検査があり、その後診察なので、会社は休みだが、起床時間は同じ。
家を出る時間も同じ。月に一度とはいえ、まあ、ねえ。仕方ない。朝起きられるこの状態を幸せと受け止める。
検査結果は良好。嬉しかったのは原因不明だった尿からのタンパクの検出だったが、だいぶ数値が減っており、正常値に近づいた。
もともとこのタンパク検出は原因が不明で、ドナーの母がもともと微量ながら出ていることもあってね。
まあ、減るには越したことないので。ただ、クレアチニンが若干上昇(先生曰く誤差の範囲というか、大丈夫、と)。

最近、体をよく動かしていることも影響しているかな(筋肉を使うとクレアチニンは上昇する)。
まあ、あまり仕事もハードにし過ぎないようにしないとね・・・。
先生は「移植前の予想よりは順調に来ていますよ。体重も増えると思っていましたしw」と。
いや、まあもっと減らさなきゃいけないけど、さすが増やすことは許されない。
自分というより、周囲の皆さんを裏切ることになるからね。どうしようもないオレだけど、それは自重した。
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あと、主治医のS先生が「今度、だまさんの病院とウチの病院で移植に関する連携セミナーを開催するんです。
医療関係者だけでやるんですが、よかったらだまさん顔出してみませんか?」と。え?いいの?
「だまさんのことなど、お互いの病院で紹介した患者さんの現状なども話し合ったりします」とのこと。ふーん。
移植前まで通っていた大学病院には移植後、挨拶には伺ったが、その後は行ってない。
行くのは全然かまわないのだけど、いつまでも患者ツラしていくのもと思い遠慮していた。
「だったらぜひ来てください」と明るくS先生が言う。立ち寄ってみよう。
でも、こうした素敵な方々に支えられているのは恵まれているなと。つくづく感じます。

午後は姉夫婦宅へ。実は義兄がこのほど、石川県金沢市に転勤することになり、もう正式な辞令は出ていて、
現地にも行って住まいも決めて、引越し用の荷物もまとめているところだった。
姉と義兄が結婚したのが確か2006年で、その後、約12年、比較的我が家の近くに住んでいたこともあって、
仲良く交流してきただけに、離れるのは正直残念。いろんな思い出があるからなあ。
(って、もう会えなくなるわけじゃないけれど)。
ひとまず初めて金沢に挨拶やら打合せに行った義兄からお土産を頂く。
どこへ行っても必ずいろいろ買って来てださり、恐縮する。
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野球観戦は数えきれないほど一緒に行ったし。サッカーも観に行ったねえ。
野球、サッカー、プロレスと共通に楽しめる趣味があったので、兄のように(って兄だけどw)慕わせてもらいました。
まあ、ここでも何度か書いてるが、だからこそ自分の弟的体質が治らないってこともあるだけどw

金沢は自分も未訪問なので、この義兄の転勤を機会に、訪れてみようと思う。
この日は大阪城ホールでの新日本プロレスのPPVがあるので、それを観ながら一緒に飲んで夕食。
最初に出されたとうもろこしがおいしかったですわ。
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やっぱり、身内というか、家族、親戚と仲がいいというのは、何事にも代えがたい幸せなこと。
お金では買えませんからね、そういう大切なものは(オレがお金のないことを肯定するわけじゃないですw)。

ケニーオメガ対オカダカズチカを見て、満足。おいとますることに。
ここで義兄と会うのはしばらくないな。次回は金沢でお会いしましょう。

by navona1971 | 2018-06-09 23:59 | 腎移植(その後の出来事) | Comments(0)