入院後も体調は改善されない。
クレアチニンという血液中の老廃物(窒素)の値が非常に高い。
腎臓が不調だから、それが尿で排出されていないのだ。
クレアチニンの正常値は男性で0.8~1.2mg/dl、女性で0.6~0.9mg/dl。
入院時は6.9mg/dl。そのレベルが継続してなかなか落ちない。
尿毒症その他が併発し、末期腎不全で人工透析が
必要な状態が8mg/dl以上だがら、オレの値がいかに悪いかがわかる。

担当医には「場合によっては腎臓の回復に勢いをつけるため、
一回だけ人工透析を受けることも視野に入れてください」と言われ、
透析にあたっての同意書に両親がサインをした。当然、オレも同意した。
ひとまず首筋に局部麻酔したうえで、透析用の管を入れることになった。

さらに、腎臓の状態、病に陥った原因を詳しく知るために、
体に針を刺し、腎臓の細胞組織を採取する「腎生検」をする話もあったが、
オレがデブなためw、担当医が「うーん、針が届かないかも」でおじゃんになった。
針を体にぶっ刺すなんて怖いんで、これは中止で胸を撫で下ろした。

その日の真夜中、3時頃、急激な胃の痛みで起きる。
少し待てば収まるかと思っていたがとんでもない。段々と強くなる。
多忙なナースをこんなこと程度で呼ぶ訳にはいかない、ととりあえず我慢するが、
胃袋を思いっきりつよくつねられたような痛みがだんだん激しくなっていく。
額には油汗が出て、苦しさのあまり声が出てしまう。
とうとうナースコールを呼んでしまう。当直の医師も来る。
聞けば電解質やカリウムのバランスが崩れることによる胃痛だろう、とのこと。
すべて腎不全から来ている。ここでこの病気の恐ろしさをはっきりと遅まきながら知った。
痛み止めの注射を打ってもらい、少し経つとようやく痛みは弱まった。

しかし、翌日からは激しい吐き気にたびたび襲われる。昨日ほどではないが胃の痛みも。
いっそのこと吐けばいいのだけれど、そこまでには至らない。
自分で抑制しているか、たまたまそうなってるのかはわからない。
ただ、絶対に吐きたくなかった。こんなことが毎晩続く。夜になるのが怖くなってくる。
ナースはわての背中を優しく何度も擦ってくれ、感謝と情けなさで泣きたくなった。
吐き気と胃痛と全身の倦怠感、ベッドで横になりっぱなしなこともあり、
体は完全に弱り、とうとう食事を受け付けなくなった。
スプーンも、箸も、手で持てない状態になり、
家族に口元まで運ばれてようやく一口、二口飲み込むのが精一杯だった。

社会復帰どころか、退院すら先行きが見えない。気持ちはへこむばかり。
消灯時刻の21時前、定例のナースによる測定。脈拍と血圧。
脈拍は手首を手にとって測ってくれる。
これがねぇ、ホントに暖かいのよ、手が。ものすごく癒される。
手をつたってパワーが流れ込んでくる感じがする。
ナースのFさんはオレの手を握り「治りますよ」と声をかけ部屋の明かりを消してくれた。
一瞬、病気のことを忘れて幸せな気分になったよ・・・。
彼女は22歳。わてより10歳も下なのに大人だよ全く・・・。

結局、なんとかクレアチニンの値は入院後しばらくしてから降下を始め、
3.2まで落ち、退院を迎えることとなった。
その後、1.5までさらに改善されたが、ゆっくりと上昇、2.5程度まで8年かけてあがり、
さらに上昇を続け、のち2年経過したところで、ついに人工透析導入となった。

# by navona1971 | 2006-01-16 21:44 | 慢性腎不全・腹膜透析のこと | Comments(0)
肺にたまった水分を排出するために利尿剤を注射される。
その影響もあり、体調は一時回復した印象があった。
そこで甘く見たのかも知れない。何かあれば声をかけて、と
ナースに言われたものの、個室だし部屋の中にあるからな、と黙ってトイレへ。
そこで便座から立ち上がろうとした際に意識が朦朧としてきた。
「ダメだ」と思い改めて座り、落ち着いてから再度、立ち上がろうとしたが、
もう一度薄れ掛けた意識は戻らない。だんだん体が熱く感じ、目の前が暗くなっていく。
「大丈夫、いずれ治る」と思い込むが、さらに意識が薄くなって・・・。

今考えると大げさなのだが、気を失うなんて初めてだから、
脳内出血でも起きたんだな、死ぬのかも知れないとぼんやり思案してた。
案外冷静で「親には申し訳ないな」とか「会いたい人にもっと会いたかった」と、
ややセンチメンタルなことを頭で巡らしているうちに意識を失い、
そこから体がつんのめるように倒れた。大きな音を立ててドアが開き、
点滴をひっかけていた器具も一緒に倒れ、乾いた金属音が病棟に響いた。
倒れたと同時に意識は戻ったようだ。だって、それらの音は耳に入っていたから。
体にはにぶい痛みがある。

ちなみにこの時の血圧は200オーバー。
電解質のバランスが崩れ便秘気味になっていて、トイレで踏ん張ってさらに血圧上昇。
で、無事に済ませたところで血圧急降下。ってことで気を失ったようだ。

ナースと医師が何人も駆けつけ、耳元で「どうしたの?」と。
「いやぁ」と照れ、両腕を抱えられ、謝りながらベッドに戻る。いかんいかん。
実は、情けない話だが、”トイレ→気を失う→倒れる→助けられる”というのを
この日から3日続けてやらかすことになる。これで病院の有名人と化してしまう。
3回目の出来事にナースは「絶対に安静にしてね。何かあったらナースコールして」と、
苦笑いされつつやんわりお説教を食らう。
「いや、トイレでトランクスを履くのを見られたくない」、と話すと、
あなたは患者なんだから~、全く、という風な顔つきで呆れた表情を見せた。
結局、立ち上がったり、座ることで変化する血圧に体が耐えられなかったらしい。
大事には至らなかったが、その後病棟内の眼科に出向いた時に、
「3日連続で倒れた子ってあなたなのね?」とナースに笑われてしまう羽目に。
しかし、本当の苦しさはこのあとに襲ってきた。

# by navona1971 | 2006-01-16 21:36 | 慢性腎不全・腹膜透析のこと | Comments(0)
大学病院へ朝早く行ったこともあり、さほど待たずに医師の診察を受けることに。
採血、採尿、心電図、レントゲンを取った結果は「腎不全」。
しかもかなり悪化しており、即日入院が必要とのこと。クレアチニン値は6.9。
当時は腎不全の知識なんて皆無だから、その値の危険性さえわからず。
ようは腎臓の機能が落ちて、体内の老廃物が排出されない状態。
血液が汚れ、肺には水がたまり(息苦しさの原因)、心臓の動きもよくないという。

これらの影響で電解質が不足したことが吐き気の要因らしい。全身にむくみもあるそうだ。
医師は「よくこんな状態まで我慢できたね。来るのが遅れれば命にかかわるよ」。
バファリンを飲んだことも腎臓には悪影響だったようだ。腎臓にはよくないらしい。
そのまま内科外来受付の横にある処置室から担架に寝かされ、病棟へ。

空きベッドが個室しかない。仕方なくそこに入院。
個室はトイレと冷蔵庫があり、ちょうどワンルームマンションの部屋みたいな感じ。
鼻に酸素吸入の管を入れられ、点滴を打たれる。
腎臓の状態を詳細に把握するには尿の量も細かくチェックしなくてはならない。
カテーテルを尿道に入れることになる。最初は恥ずかしくて「えぇぇぇぇ」と言ったのだが、
女医さんとナースに「それどころじゃないでしょ!」と一喝されトランクスを下ろすw。
局部に麻酔を塗るので無痛。カテーテルから尿はベッド下のビニールに溜まる仕組み。
点滴は右腕から。腕が太いので血管を捜すのに苦労したようだが・・・。

処置室から担架に寝かされて部屋に来たから、
ここが病院のどこの位置にあるのか、窓から見える景色は北なのか南なのかもわからない。
ベットにとにかく横になって、ただ時間が過ぎるだけだった。
普通の人だと「迷惑をかけたくない」と入院したことを周囲に知らせるのを躊躇うが、
オレの場合は全く逆で、携帯で思わず友人にメールしまくってしまうw。
すると、友人のK嬢がその日のうちに様子を見に来てくれた。仕事中にわざわざ。
点滴と酸素をされて横たわる姿がよほど情けなく見えたのか、
K嬢は病室に入るなり口に手を当てて驚き、やや涙が見えた。
その時は呑気に「うわー心配してくれてるじゃんw」と、まだ病気を甘く見ていた。

# by navona1971 | 2006-01-16 21:33 | 慢性腎不全・腹膜透析のこと | Comments(0)
腎不全でオレが倒れ、51か月の入院生活を終え、退院してからちょうど2年が経過した。
当初は健康への気遣いや、病気の恐怖が脳裏に残り、自制した生活をしていたけれど、
最近は甘さが前面に出てしまい、不摂生が続いている。自らの弱さに情けなくなる。
改めてここに記して、少しでも体質を改善していかなくてはと思う。
ちなみに画像は入院していた時に記していた日記ノート。
今回は退院2周年を記念?し、当時の様子を連載で振り返りたい。

思えば、入院は11月だったが、3か月くらいから、調子はおかしかった。
体重は落ちていくのだが、体が楽にならない。
むしろ増えているかのような重みを感じ始めた。
そのうち、咳き込んだり、むせたりした時に吐き気を感じるようにも。
実際、吐くまではいかないんだけども。
さらに喉が渇くようになり、通勤途中に500mmペットボトルを2本も空けてしまうほど。
やがて入院2週間前には疲労感で起床が辛くなり、
地下鉄では降りる駅を寝過ごす失態までしてしまうほどに。
その日は駅から地上に出る階段(30段)が息苦しさで登れなくなり、
数歩進むたびに踊り場で息つくために休憩を余儀なくされた。
この頃から体温が上昇、帰宅後家で横になるも、ただ呼吸をするのさえおぼつかなく、
全く寝付けない状態。バファリンを飲んでも回復の兆しは皆無。
これはただの風邪じゃない、と家族が察知し、
姉に付き添われ、タクシーで病院へ向かうことに。もうその移動さえも苦しかった。
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# by navona1971 | 2006-01-15 22:11 | 慢性腎不全・腹膜透析のこと | Comments(0)

減量の大敵

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オフィスグリコがとうとう弊社にも。
最近取引先でもちらほら見かけるんだよねぇ。
お菓子の入ったBOXがあって、全商品100円。
代金を入れたあと、好きなお菓子を抜き取る。
補充と集金はグリコのスタッフが勝手にやってくれる仕組み。
中身はやっぱりチョコが多いみたい。

女性陣はわぁわぁきゃあきゃあ言いながらBOXの引き出しをのぞいてるw
外回りできるわてらと違って、女の子は社内にカンヅメだからお菓子でも食べて
気分転換したいよね。明日以降の”売れ行き”はどうだろう。
# by navona1971 | 2006-01-11 20:56 | とりとめもない話 | Comments(0)

仕事初め

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もう2006年。
ガキんちょの頃は21世紀というと、
チューブの中を車が走ってるイメージがあるんだが昔と変わらんね。

サラリーマンやって10年過ぎちまった。
年々正月休みが短く感じる。もう仕事初め。同僚とまずは挨拶。
まぁとりあえず年賀タオル持参で取引先でマターリ雑談(仕事しろよ自分)。
話は尽きない。聞き役は楽しい。顧客と心から打ち解けるのは心地よい。
東銀座からの帰りは晴海通りを進む。
銀座4丁目交差点で空を見上げる。冬らしい、水色。
和光の時計台が映える。和光・・・和幸じゃないよ(あれはとんかつ)。
ここの店員って上品な子多いよねぇ。ええトコの子女ばかりらしいが。

そういえば、就職して2番目に勤務した会社の先輩から年賀状が。
9年前、彼の家に同僚のOLと一緒に出かけたことを思い出す。
あれは社会人になって初めてマトモなデート?と言えるような出来事だったか。
これまで生きてきた中で、一番幸せな日だったな(今んとこ)。
あの日の記憶が薄れないように、何度も思い出して、
胸に焼き付けてきたけれど、それももう、擦り切れてきたような感じ。
思い出を思い出す感覚になってきた。それだけ遠き日の出来事になったのか。

まだ携帯はIDOのアナログ。メール機能なんてなかったな。
彼女は携帯持ってないから自宅に電話。必ず母親出るしw。胃が痛んだ。
JR大網駅でわての携帯を借りて「カエルコール」をしたねぇ。
今思えばカッコよくもないわてとよく一緒に一日を過ごしてくれた。
こちらが気持ちを伝えても、いつものらりくらりで
はっきり断らなかったのは優しさだったのかなと思う。
その後は明快に言われたけどw。

恋愛に関してはあの出来事で燃え尽きてしまった。
だけど、遠い日の花火にはしちゃいかんわな。
# by navona1971 | 2006-01-05 21:21 | とりとめもない話 | Comments(0)