Photo Blog 人生の半ばを過ぎて....:慢性腎不全・腹膜透析のこと
2020-03-05T21:39:48+09:00
navona1971
中年リーマン”Dama”の雑感春秋
Excite Blog
腎移植手術での入院前最後の血液透析に行ってきました。
http://navona1971.exblog.jp/25134627/
2017-01-07T17:03:00+09:00
2017-07-12T19:21:58+09:00
2017-01-07T17:03:55+09:00
navona1971
腎不全・腹膜透析のこと
厳密には手術先病院であと数回あるでしょうけど。
もともとのかかりつけだったここの大学病院では最後。来週早々に入院だから。
僕は2013年の透析導入から、2016年初頭までは、
新しい透析手法である「腹膜透析」を受けていました。腹部にカテーテルをつけ、
自宅で夜、貸与された機器を通じて、透析液(ブドウ糖などで構成)を腹膜へ出し入れすることにより、
浸透圧の原理で、体内の老廃物や水分を排出する仕組みで、透析性能は血液透析より劣るものの、
病院に行く回数が月1~2回程度に抑えられるのが最大の利点で、
社会生活への影響が最小限になるのが魅力です。
詳しいことはこのブログの過去にも記載しています。導入手術のことなども。
※画像は透析中の左腕。手首の静脈と動脈が手術で接続してあります。
それにより血管が太くなり、血流が強くなることで、透析時に血液が大量に、かつ正常に
透析機器(ダイアライザー)を巡るようにする。針は機器へ送る方と体に戻す方、合計2本。
ちなみに1分間で約200ccの透析を行う。所要時間は約4時間。
実際、腹膜透析のお陰で僕も会社へフルタイムで通うことができました。
ただ、カテーテルが腹部で動いたり、腹膜炎になりやすい、
また、透析液の使用量が多い(一晩で8L~)ため、準備や排液の処理、
透析液の管理などが課題です。実際私は昨年、カテーテル位置異常と腹膜炎で入院し、
それを機会に春から血液透析の併用をスタートさせました。
本来なら退院後の血液透析は自宅近くの透析専門クリニックで行うのが標準ですが、
私の場合、血液透析導入前に腹膜炎で長期入院したことや、
移植の準備が進んでいたため、血液透析を行う期間がそう長くないことが予想されたので、
主治医の判断で「移植手術をする病院に入院するまでここで透析してください」と。
それはもちろん、何かのトラブルの時の対応含め心強い判断をしてくださった。
血液透析というと、顔色を悪くした人が針の痛みにひたすら耐えて、
シャント(透析しやすいよう、手首の動脈と静脈を接続し血流を強くする)の管理にも怯える、
いうイメージがあったのですが、施術の向上と痛み止めのお陰で針の痛みは
採血程度レベルに抑えられ、透析後は腹膜透析以上に水分、老廃物を確実に除去できるので、
これまで透析不足により起きていた体のだるさや足の痛みはかなり軽減され、体が楽になりました。
そういう意味では、血液透析を経験しておいてよかったです。
自分では相当ネガティブなイメージを持っていたので、もし、腹膜透析から移植して、
その後、移植腎臓が機能を失い、血液透析へ、となった際、
失望はとてつもなく大きく、自分で受け止めきれないかも知れなかった。
※これが透析機器(ダイアライザー)。昔より小型化されたそう。
すでに紹介状は発行済だが、
こちらでの主治医だったO先生が改めて各種データや記録をひとまとめにした資料を移植先へ、
と下さった。細やかな気配りに頭が下がる。「落ち着いたら顔出してください」と笑顔のO先生。
彼の師匠である前任のS先生時代から本当にお世話になった。
マジで「どうせ死ぬならこの病院」と思ったので。
実際、最初の入院だった2003年から今まで何度か死線の手前の手前?くらいを彷徨ったのよね。
幾度となく救ってくれたのはこの病院の皆さんだった。
病院から帰宅前に美容院へ。
このブログでも何度か触れていた常連だった水道橋の床屋さんは、
ビル建て替えに伴いひとまず閉店、本当に困ってしまった。10年以上の常連だったから。
仕事の合間に休憩しに行ったり、甘えさせて頂いた。なのでどうしようかと思っていたが、
最寄り駅の近くに雰囲気のよさそうなお店があったので予約。予想通りしっかりと
切ってくださり、当面はこちらに通うことになりそう。
さぁて、そろそろ入院の準備を始めないとね。
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腹膜透析の合併症「腹膜炎」89日間の闘病記(第1話)
http://navona1971.exblog.jp/24320061/
2016-04-22T12:00:00+09:00
2017-07-12T10:20:26+09:00
2016-04-21T17:24:29+09:00
navona1971
腹膜透析に関すること
わずかながら?更新を待っていた方、お待たせして申し訳ありません。
昨年末から体調を崩し、年明けから入院し、4月半ばでようやく退院にこぎつけました。
まさかこんなに入院期間が長くなる(89日間)とは、本人が一番驚いています。
2003年に腎臓を壊し、2013年に慢性腎不全となり、人工透析と言われるもののうち、
「腹膜透析」(腹部にカテーテルをつけ、腹膜内に透析液を機器より貯留することで、浸透圧の
原理で体内の水分と老廃物が透析液に吸われ、腎臓の代役を果たす)を私は導入していました。
ちなみに腎臓を傷めてしまうケースは最近糖尿病由来のものが多いようですが、私は高血圧由来
で、血圧が高い→腎臓の細かい血管を傷める→腎機能が落ちる→腎機能が落ちたため血流を上げ
て機能を取り戻そうと脳が勘違い→さらに血圧が上昇→また腎機能が落ちる---の悪循環です。
そして、腹膜透析はさらに、「CAPD」(一日のうち、朝から就寝まで、概ね4~5時間おきに点
滴棒に出し入れするもの・点滴棒に透析液を吊るし、腹部のカテーテルとつなぐ)と、
「APD」(就寝前に病院から貸与された機器を接続し、寝ている間、機械が自動的にカテーテル
を経てつなぎ、透析液を出し入れするもの)に分けられます。
私は「APD」を2013年夏から導入して、一応順調に推移していました。
「APD」の利点は、(1)寝ている間にできる(2)病院に行く頻度が少ない(月1~2回)
(3)血液透析時の針の痛みがない---などがあります。
一方で、欠点として、(1)血液透析より老廃物除去力が劣る(2)カテーテルと腹部の接続部を清潔
に保つなどの自己管理が必要(3)腹膜が劣化し、硬化症などの合併症の恐れがあるため、長期間の
導入はできない(平均5~7年程度)(4)原則毎日行うため旅行などが難しい(機器を宿泊先へ手配
するなどの必要(5)腹膜炎になりやすい----などがあります。
そんなこんなで昨年暮れ、「APD」をしながら日々過ごしていた私に異変が。
透析一回当たりの除水量(体内の余計な水分の排出量)が、これまで1.5リットル程度が平均でし
たが、突如、500ml程度まで落ち込みました。するとどうなるか。
腎臓が悪いため、健康な人より尿の量が少ない。なので、除水も減ると、「むくみ」が起きます。
カロリー過多ではないのに、日々、余った水分が体重増加に拍車をかけていきます。
「もしかしたら、腹部のカテーテルの位置がずれて、うまく排出してくれなくなったか?」---。
そんなこと思いながら、極力水分摂取を控え、改善を待つ日々でした。
それが二週間くらい続いた今年1月中旬、いきなり腹部に痛みが。
「排出できない水分が腹部を圧迫しているかな」。腹膜透析患者にとって、腹部の痛みは
無縁ではないため、引き続き様子を見ることにしました。
ところが痛みは強くなる一方で、とうとう、起き上がれなくなりました。
布団から出ようと腹筋に力を入れると、激痛で動けません。
病院に行きたいのですが、痛くて動けないのです。
時刻は深夜2時。救急車も考えましたが、下手にかかりつけの病院以外に行かれても・・・。
と思案していると、以前、親不知を抜いた時の痛み止めの薬を何かのために、ととっておいたこと
を思い出し、机をゴソゴソ。あった!服用すると若干痛みが引き、体を「く」の字にしながら
タクシー無線へ電話、家族とともに某大学病院へと駆け込みました。
絶対これは入院だなと思ったので、最低限の荷物はもう着替え、iPhone充電器持参ですわ。
そして深夜急患受け付けで1時間ほど待ったあと、無事に診て頂くことに。
夜勤のため腎臓医は不在でしたが、循環器担当の先生がCTとレントゲンの結果を踏まえ、
「あぁー、腹膜炎ですね。腸閉塞も少し起きてるかも。このまま入院ですね」とほほ。
カートに寝かされ、そのまま5Fの病棟へ。深夜4時から入院スタートとなりました。
入院は正直嫌だが、こればっかりはどうしようもない。
深夜にもかかわらず、快く診て頂いた先生、そしてこうしたアホな患者のために、CTや
レントゲンをとるための技師の方も夜勤をされているんだ、と、ひたすら感謝でした。]]>
腹膜透析の合併症「腹膜炎」89日間の闘病記(第2話)
http://navona1971.exblog.jp/24324646/
2016-04-22T11:59:00+09:00
2020-03-05T21:39:48+09:00
2016-04-23T14:54:33+09:00
navona1971
慢性腎不全・腹膜透析のこと
抗生物質を点滴で落としつつ、ひたすら体力の回復、炎症の収束を待つしかありません。
深夜4時の入院直後、ベッドの横には「歩行禁止」「絶食」の文字が・・・。
2日ほど絶食です。
特段食欲があるわけではないので、特に苦痛じゃないんだけども、苦手なのは点滴。
とにかく僕の腕は点滴が抜けやすい。すぐ落ちなくなっちゃうし。
腕の自由もなくなるしねえ(当たり前だけど)。
数日して食事の許可も出て、回復した印象もあったので、「こりゃ来週には退院かな?」なんて
勝手に思っていたが(後々それが甘いことを痛感)、自分の印象とは別に、日々採血すると数値
は改善はしているものの、まだまだ白血球の値も高く、楽観できない様子だった。
一方、ブログの前編に書いた、そもそもの問題だった腹膜透析の排液の不良も課題。
こちらについては入院後も全く改善しなかったから、腹膜炎が治ったとしても退院できない。
一番最初に着手したのは、カテーテルに注射器を接続し、生理食塩水を注入し、カテーテル
内に引っかかっているであろう異物などをピストンの勢いで排除すること。しかし改善せず。
「近いうちに、またなんとかしましょう」という話になる。
姉夫婦や親友、会社の上司などがお見舞いに駆けつけてくれ、ありがたいこと。
そこで上司に謝罪したところ「腎移植を含め、完全に治療が終わるまで休んだ方がいい」と
進言され、一晩悩んだ末に従うことにしました。ここで中途半端な状態で戻り、
また迷惑を掛けたりするよりは、しっかり治そう、と。
上司とはもう15年近い付き合いで、今まで出会った上司の中では最良の人物。その彼が言う
ことですから、素直に従うに越したことはありません。幸い、自分の勤務先は一応、安月給
ながらホワイトなので、休職することについても、すんなり認められることとなりました。
また、姉の旦那さん、つまり義兄には来訪のたびに文庫本の差し入れを頂き、こちらにも感謝。
しかも後日、NHKBSの「乃木坂46SHOW」を録画してくれていたという神様のような方ですw。
そして、親友もすぐに様子を見に来てくれ、そういえば高校一年頃から彼とはもう30年近い
付き合いなんだなぁと変わらぬ交友に心の底からありがたいと思ったのでした。
彼が持参したのは日経エンタの乃木坂特集とか。うわーんありがとう。
あと、あまり書きたくはなかったが、一応FBにも入院報告。多くの激励を頂戴しました。
前述したように、腹膜炎はとりあえずひたすら寝て、回復を待つしかありません。
なので、猛烈にヒマで、夜も眠れず、昼はその影響でウトウトし、昼夜逆転してしまう。
テレビは地上波しか映らないし、頼みはネット。病室では原則ネット禁止だが、静かにしていれ
ば、ということで、ナースさんには黙認されていた。しかし、僕はドコモのiPhone(月5GB)
なんだが、ヒマ潰しに動画ばかり見ていたら、なんと2日で1.5GBくらい達してしまい、追加
料金(1GB1000円)なんて払っていたらこのペースじゃいくらになるんだ?と。
だからといって、我慢するのは嫌w。思案した結果、ポケットWi-Fiのレンタルサービスが
あるらしく、ネット検索したうえで申込。翌日には手元に。一か月8000円くらいだったか。
やや割高だが、通信量には上限がないそうだし、退院後返却すればいいから、納得の価格です。
そんなこんなで、治らないなりにも前半はやや平穏な日々でした。
実は昨年もこの病院に入院していて(蜂窩織炎という炎症です)、そして、日々、かかりつけ
の病院ですから、顔見知りのナースさんやお医者様もいるのですが、病棟の廊下ですれ違いざま
「え、なんでだまさんパジャマ?」「実は入院していて・・・」とか、「入院したと聞いて」と
わざわざ病室に顔を出す方もいて、まったく情けない限りです。常連になってどうすんねん。
いつも4人部屋や2人部屋を案内されることが多いのですが、今回の入院ではベッドに余裕があり、
相部屋(8人)となりました。相部屋は別に構わないが、今の時代8人はちと多すぎないか。
ま、当然だけど、部屋は年寄りばっかりです。あと、認知症の多さには驚かされます。
カーテン越しに理解できない会話や、その症状特有の行動などが見てとれると、切ないです。
「老い」というものについて、受け入れられないというか、怖いくらいです。
自分の両親も下手したら認知症になってもおかしくない年齢ですが、幸いにもバカ息子が
迷惑をかけ続けているせいか、今のところ年齢よりはるかに若い状態ですわ。]]>
腹膜透析の合併症「腹膜炎」89日間の闘病記(第3話)
http://navona1971.exblog.jp/24324704/
2016-04-22T11:58:00+09:00
2017-07-12T10:21:28+09:00
2016-04-23T15:20:07+09:00
navona1971
腹膜透析に関すること
腹膜炎が再度悪化、どうも抗生物質が合わなかったらしい。変更して様子見。
さらに、カテーテルの処置の際、CTだったかで使った造影剤の影響か、腹痛が激しい。
下痢もひどいし、こういうのは下手な病気より辛かったりする。食欲も落ちる。
それが落ち着いても、腹部の痛みがまた新たに始まった感じ。
とある日は腹部をつねられたような痛みで一睡もできない。
夜勤のナースが手を握り励ます。痛みの中ふと思ったのだが、以前はどうだったか記憶にないが、
今回の入院ではやたらとナースに触れられることが多かった気がする。腕とかね。
そう指導されているのかどうかは知らないが、きっと患者の精神的落ち着きとか、癒しを目指し
ているんだろうと思った。あぁ、人の手はこんな温かかったかと思ったし(中には冷え性の
ナースもいるけど)。ここの病院は本当に優秀なナースが多いんだよなあ。美人も多いし。
ここで死ねれば本望ですわ。ちなみに東北出身の方が多く、同郷に嬉しさを感じるとともに、
地方の若い労働力を東京が吸い取って、東京の老人が世話になる構造に申し訳なさもあったり。
数日を経て、ようやく腹部の痛みも治まる。そして、腹膜炎も改めて改善にゆっくり進む。
そんな中、カテーテル位置の修正を目指し、今度は器具を通し、グリグリ動かすことで、改善
図る策がとられたが、残念ながらこれも思うような効果がなかった。「うーん、開腹手術しか
ないなぁ」と先生。えーっ!と思ったが、他に策がないよな。仕方ない。
手術室などの空き予定などを踏まえ、一週間後に手術へ。
あぁ、世の中のいろんな手術から見れば、お腹を空けてカテーテルをちょいちょいするくらい
なんて、手術のうちに入らないかも知れないが、一応、あのほら、天井にランプがいっぱい
あるあの本格的な手術室でオペは行われます。ま、麻酔がかけられるから本人は以外に気楽だ。
しかし、今回つらかったのは手術後。酸素をつけられ(これが邪魔で超苦手)、点滴、さらに
寝たきりで動けず、酸素がコボコボしてる状態じゃとても眠れず、スマホも触れない。
時間が経つのが猛烈に遅く、夜勤で様子を見に来たナースに「今何時?と、たぶん午前3時
くらいだろうというつもりで尋ねたら、”12時半です”」と。朝6時まで5時間半かよ!!!」と。
もう泣きたいくらいだった。人生で一番つらい一夜だった。
腹部にカテーテルを導入した際も開腹手術をした。その時はそんなに辛くなかったのに、
ほぼ同じことをやる今回、なんでこんなに辛いんだろうと思ったら、前回は「手術のための
入院」で、入院後手術はすぐ行われた。今回は入院後しばらく経ってからの手術で、体力と
気力がかなり落ちた状態だったことが原因じゃないかと個人的には推測している。
最悪の一夜が明けたあと、腹膜透析にトライするが、改善は見られたものの、悪化前の状態には
届かない感じ。主治医のY医師は僕が避けていたあの案をついに提示する。「だまさん、血液
透析を併用しませんか」----。来たかついに。]]>
腹膜透析の合併症「腹膜炎」89日間の闘病記(第4話)
http://navona1971.exblog.jp/24335074/
2016-04-22T11:56:00+09:00
2017-07-12T10:21:54+09:00
2016-04-27T13:50:05+09:00
navona1971
腹膜透析に関すること
これだけは避けたいと思っていた。
自分の中ではマイナスのイメージしかない。
針の痛み、時間の拘束、副作用、まさに廃人---。そういったことで頭がいっぱいになっていた。
ただ、腹膜透析がうまくいかない以上、選択肢はない。もう、隅っこまで追いやられた状態。
受け入れるしかない。今思えば、うわべだけで拒否の気持ちを持っていたことは誤解が多く、
反省すべき点だった。結局自分はこの病院、そして担当医を信頼しきっているので、
「お願いします」と。どうせ死ぬならこの病院だしw。
世間の人がイメージする「透析」はやはりこの血液透析です。ベッドに寝かされ、太い針を刺され、
大きな機器(透析器=ダイアライザー)で血液をろ過する仕組み。その通りです。
前述したように、毎回、腕に針を刺さねばならないこと、数時間のベッド上での拘束が必要、
足の”つり”などの副作用がある、と言われています。もちろん、体質や病状にもよりますが。
血液透析はまず、いきなり腕に針を刺すのではなく、
「外シャント」と言い、首筋の血管の太い部分に管をつけ、ここから透析をできる
ようにします。そこで透析をして体を慣らしつつ、「内シャント」という、
腕の静脈と動脈を一部結合させ、太い血管を作り、太い針の出し入れに耐えられるようにし、
そちらが生成されれば、首のシャントを抜き、腕で常時行います。(ま、これはあくまで僕の場合、
初めて透析をやる方は、いきなり外シャントの手術からスタートもありうる)。
首のシャントは淡々と処置室でじっとしていたら小一時間で作成は終了。
ちなみに、そもそも腎臓を悪くしたきっかけだった2003年の入院時、
もしかしたら、と医師の勧めで当時外シャントを一回作ったんだよね。
結局それは使うことなく退院したんだけど。だからここにシャントを作るのは二度目。
そして初めての血液透析。普段腎臓内科にかかっていて、その先生は透析室の隣にいるので、
透析室にはなじみがある。そのベッドに横たわり、首もとを技師とナースに預け、血液透析を行う。
3時間で2.5kgの除水。やはり腹膜透析よりは高効率。
外シャントには管をつけるだけなので、針を刺すことはない。なので痛みはゼロ。
寝ている間はスマホに触れてもいいし、テレビが横にあるので、それを見ても構わない。
ま、拘束はされるが、3時間なら我慢できる範囲。自分のベッドの横ではダイアライザーが動き、
たくさんのホースは行きかう血の色で赤く染まっている。
今までざんざん腹膜透析はしてきたけど、この血液透析は「あぁ、透析してるな」って感じ。
ついにここまで来たか、と。まぁ、仕方ないけど、半ばあきらめというか。そして、
終わったあとに疲労困憊になる噂も聞いたが、透析患者の中では比較的年齢が若いせいか、
今までがひどかった体調だからか、以外に爽快で、自分にとってはラクだった。副作用もない。
透析後、病室に戻る際は、病院の内規でナースの付き添いのもと、車いす。だったが、
特例で単身徒歩で戻ってよい、と。ただ、血液透析後の夜、眠りは深くなるみたい。
やはり一度に落とすウエイトが大きいので、体に多少負担もかかるし。
そんなこんなで、腹膜透析ではうまく落ちなかった体重も血液透析のお蔭で落ち始める。
そして、手術室の都合もあい、いよいよ腕の内シャント手術へ。
局部麻酔で2時間ほど。痛みはほんのわずかなものが少々。
麻酔の効果抜群。こちらの顔にはシートがかぶせらているので、
腕をいじられている感触はあるが、それだけ。
手術は無事成功。ちなみにこの病院では「腎臓内科」にかかっているのだが、
当初手術は外科医が行うものと思っていた(腎臓内科医が指示をしながら)。
ところが、ここの腎臓内科は内科医と名付けられているが手術も行う。それはすごい。
先生曰く「専門性が求められるので、腎臓内科医が手術した方が
いいというスタンスなんですよ」と涼しい顔。主治医のYS助教は身長150cm弱、
三十路過ぎの小柄で細身の女性だが、そこからは想像できない堂々としたオペに脱帽。
細やかで上品、かつ低姿勢な言葉遣いといい、育ちの良さを感じられずにはいられない。
未来の旦那に嫉妬するおw。
内シャント手術後、すぐに腕からの透析を行うわけではなく、手術により、
血流を変えたことで血管が太くなるを待つ。概ね10日から二週間程度で生成されるらしい。
それまでは腕を触診したり、聴診器で血流の音を聴いて生成具合を確かめる。
その後「じゃ、だまさん、明日の血液透析から、腕の内シャントでやりましょう」
と先生。あぁ、来たか。不安、超不安----。
で、当日、見るのが怖くて、透析終了後に見たのだが、刺す針の太さにびっくり。出すのと入れるの
で合計2本刺す。技士曰く「1分間に牛乳瓶1本分の血を出し入れするので、
ある程度の太さになりますね」と。腕を丹念に消毒したあと、いよいよ針を刺す。
痛い、確かに痛かった。ただ、自分が想像しているよりは痛くない痛み?だった。
痛いは比較的一瞬で、いわゆる皮下注射のような注射だと、刺した時も痛いし、
ピストンを押した時も痛いでしょ。あれの方が自分は苦手だ。
これはなんとか耐えられそう。そして、腕からも無事、血液透析が行えるようになり、
首の内シャントは管が外され、役目は終えた。わずかな傷が跡として残っているだけ。
このような血液透析をしているうちに、ある変化が起きていた。
除水が不良だった腹膜透析が、順調な排液を取り戻しつつあった。
想像するに、血液透析で除水が進み、お腹が小さくなることで、
腹膜内にあるカテーテルが安定したか、というか、排液に適した環境になったようだ。
これは怪我の功名?だった。これで、週2回を想定していた血液透析も週1回3時間で済み、
残りの6日間は腹膜透析、というパターンが決まった。
このローテーションで「様子を見て問題なければ退院」と、
ようやく担当医から”退院”の言葉が口にされた。
ここからさらに一週間、無事に血液透析、腹膜透析ともに進み、腕の内シャントも問題なく働き、
体重の落ちも確実なものに。入院中の最悪な時期よりも15kg減ったから、
いかにむくみがひどかったかわかる。それがほとんど水分だったから。
こうした流れで4/14(木)、朝10時半、89日間をもって、某医大付属病院を退院することに。
担当ナース、透析技士、主治医、ほか関係者の皆様には、改めて深く御礼申し上げます。
あ、休職を快く認めてくれた会社、上司にも感謝です。安心して休めました。
なお、現在は毎週火曜日午前、3時間血液透析を行い、残りの週6は、自宅にて、腹膜透析を
行っています。そして、かかりつけの医大から紹介された某医大にて、中断していた
腎臓移植の準備に間もなく入ります。実際に移植が可能かどうか、最終的な結論は
まだわかりませんが、家族内で移植の申し出をありがたくも頂戴したところです。
引き続き、しばらく仕事はお休みを頂くこととなっております。関係者の方、申し訳ありません。
皆さんもお体大切に。]]>
腹膜透析中に親知らずを抜歯しました。
http://navona1971.exblog.jp/22668367/
2014-12-22T12:51:00+09:00
2017-07-12T10:40:20+09:00
2014-12-22T12:51:11+09:00
navona1971
腹膜透析に関すること
虫歯は前から通っていた歯医者で順次治療しています。まあそんなにないけど。一方、親知らずは僕が解説するまでもないですが、歯ブラシが届きにくく、虫歯になりやすく、
また、雑菌も入りやすく、危険ということもあります。
普段お世話になっている歯医者さんが、「こちらで抜いてもらうといいですよ」と、
某大学付属病院の口腔外科への紹介状を書いて下さいました。
一般的には、日帰り手術なのですが、最初の診察時、先生の判断で、
腎不全、さらに血圧が高いということもあるので、前泊して1泊2日のスタイルで
翌朝抜歯しよう、ということになりました。抜くのは左上下と左のやや前よりに
1本だけ重なって生えている歯があり、合計3本。
歯医者は子供の頃から苦手で・・・って好きな人なんていないよなw。
痛みの引くタイミングなどを考えると週末しか選択肢はない。19日(金)、お休みを
頂き、朝、病院へ。12階の入院病棟を案内される。眺望がいいのに驚き。
ランドマークタワーや、ベイブリッジなどが一望できますわ。
歯医者が苦手という俺に先生は抜歯前に鎮静剤まで用意してくれた。
「静脈内鎮静法」という手法らしい。点滴で鎮静剤をベッドで打たれ、少し眠気がある
ような気持ちのもと、抜歯をする。思ったほど眠くはならんかったな。
でも、倒れこみ防止のため、病室からは車いすで口腔外科へ。
しかし、点滴の針は相変わらず入りにくく、ナース泣かせ、研修医泣かせなのは変わらず。
スリスリさすっても、パンパン叩いても血管が見つけにくいらしい。
しかもその血管が薄いらしい、俺の場合。まあその美人ナースさんが手をスリスリしてくれるのは
気持ちええんやけどwwww
Y先生「さー、やりますかー」と。
麻酔が効いているので痛みはないが、ペンチでぐぃ、と抜かれる感じがこええええ。
左前、左上は比較的あっさり抜けたが、斜めに寝ていてしかも埋まっている左下には先生も手こずる。
そのうち、神経にも当たり少し痛みがあったため中断して麻酔追加、その後ようやく抜歯へ。
僕は口が小さいので、自分でも自分の歯の様子がよくわかりにくいのに、よくもできたなあ。さすがプロ。
しかもY先生はまだ30代なのに上手なものです。
しばらくは持病の治療に向け、本気で生活態度を改めるつもりで日々過ごしていますので、
お付き合いが悪くなって申し訳ありません。かっこよくなって戻ってきますので(わははw)。
あ、そうそう、退院当日の午前10時に「だまさーん、おやつですー」と。杏仁豆腐が。
デザートというかおやつ付きの病院食って初めてだわ。ひんやりしておいしかったわ。
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自宅での腹膜透析(APD)が成功し正式に退院しました。
http://navona1971.exblog.jp/20921608/
2013-08-12T13:13:00+09:00
2017-07-15T21:02:27+09:00
2013-08-12T13:13:13+09:00
navona1971
腎不全・腹膜透析のこと
でも、いかに病院では周囲に守られていたがわかる。そろそろ微妙に心理が変化する頃合い。
前回の入院も退院したいしたい!と漏らしていたけど、
日が経つにつれ、逆に外へ出る勇気が薄れる。病院は楽だから。
朝、一旦病院へ。最寄り駅の亀屋万年堂でナボナの詰め合わせを購入。
病院では看護婦に対する配慮は不要と掲出してあるけど、
それはそれとして、本当にお世話になったので、自分の気持ちとして。
10時に病院へ着いたあと採血、結果は良好。そして次回外来日とそれまでの諸注意を受ける。
片付けをして、顔を出してくれる看護婦さんにそれぞれ挨拶。
特に受持看護婦のOさん、福島県出身のIさん、
そして、前回も今回も助けられたNさんとちょっと言葉を交わして。
看護体制も厚くなり、ちょっとこんな雑談もできる余裕ができたんだな。
最後は右手首にしていた名前と血液型が明記してあるタグをチョキンとハサミで切られておしまい。
某大学付属某病院の皆さんには大変お世話になりました。改めて御礼申し上げます。
で、腹膜透析装置「ゆめ」は自宅でこんな風に設置しています。
なお、この金属フレームの棚は、ニトリで販売しているもので、バクスターの営業担当者なら、
適切なサイズに合う商品番号を教えてくれます(私の場合ですけど)。
実はバクスターで棚を売っているんですが、ちょっと高くて、「独自にニトリで買えば安いので、
皆さんにはそちらを奨めています」と彼ら。確か4000円くらいだったかな。
自分で組み立てが必要ですが簡単で、下には車もついていて錆びにくいのでいい商品だと思います。
3段式になっています。機械は一番下に、2段目にも透析液を置きます。
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入院18日目 「仮退院しました」
http://navona1971.exblog.jp/20921603/
2013-08-11T13:12:00+09:00
2017-07-12T09:58:00+09:00
2013-08-12T13:12:15+09:00
navona1971
腹膜透析に関すること
すでに腹膜透析の機器「ゆめ」はバクスター社が手配し、自宅に設置済み。
なので、帰宅して夜、それによる透析が問題なければ、
朝病院に一旦行って、検査を受けて体調を診たうえで、正式な退院が決定する。
多分このまま予定通り明日退院になりそうだし、今日のうちに荷物はある程度持って帰ろう。
「今日もだまさんの担当私なんですぅ~」と看護婦のIさん。
「よかったですね、腹膜透析導入の入院にしては退院が順調で早いですよ」と労ってくださる。
あ荷物を山のように持ちながらロビーへ。そして外へ。
入院していたため、今年の夏の暑さを実感するのは初めてなのだが、
猛烈過ぎる暑さだね。なんだこれ。なんとかタクシーに乗り込み、帰宅。
帰宅して一番最初にやったのは、前回入院時(2003年)の闘病日記を読むこと。
ページをめくると、やはりNさん(旧姓Tさん)にいかに親切にしてもらったが綴ってあった。
やっぱりあのTさんだったんだ・・・。
心の底から沸き上がってくるような絶え間ない、自然な優しさに感謝。本当に素敵な人でした。
2度も世話になるとは情けない。あんな人と結婚できたら幸せな人生だったろうに(´・ω・`)
2003年入院時の闘病記ノート。ベッドで日々綴っていた。
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入院17日目 「病院最後の夜、そして、看護婦さんとの意外な接点」
http://navona1971.exblog.jp/20914652/
2013-08-10T18:39:00+09:00
2017-07-12T09:58:00+09:00
2013-08-10T18:39:47+09:00
navona1971
腹膜透析に関すること
昼には先日ハワイから戻ったばかりの姉夫婦がわざわざ様子を見に来てくれる。再び本も頂戴したり、また、お茶の差し入れも頂く。
そういえば、よく結婚しないと孤独な老後うんぬんと言うけれど、
この病院はあまり見舞い客が多いとは思えない。かといって入院している人が独身とは思えない、みんな。
家族や親族がいても、孤独な人っているよね。結婚イコール孤独解消とは違うと思う。
外を寂しそうに眺めたり、ただ食堂でひたすらテレビを見ている人々を見ていると、いろんなことが頭をよぎる。
まあこっちの勝手な想像なのだけれど。まあ、俺もきっと孤独な老後だろうし。まあいい。
そして今日はカテーテルの傷口も癒えたため、そこにカバーをしながら初めての入浴。
まあ、こうして考えると、いろいろとめんどくさいことが多い。でも、仕方ない。
熱いタオルとペーパーウォッシャーなどを使って体を拭いて、
頭はだいたいシャワーつき洗面台で毎日洗っていたから、清潔には保っていたけど、
13日ぶりの入浴は段違いに気持ちがいい。入浴といってもシャワーまでだけど。
今日の日勤は美人看護婦のIさん。
ちょっと言葉がきついんだけど、キリリとした眉ときれいな二重の目が美しい。
この日は珍しく時間に余裕があり、雑談、出身地の話へ。
Iさん「だって私訛ってますもん、東北です」。
だま「東北のどのあたり?だいたいどこでも位置はわかります」。
Iさん「郡山の近く・・・」。
だま「福島は大好きでよく行くんですけど、主に会津中心で」。
Iさん「え、でも会津寄りですもん!」。
だま「じゃあ湖南町あたりかな?」。
Iさん「えええええ!そうです!なんで湖南町知ってるんですか?びっくり!」。
だま「会津に友人がいて、通ったことあるし、あそこのY温泉にも行ったし」。
Iさん「あーーーー、あそこ私の同級生のウチなんですぅ」。
だま「いいお湯でしたよ、ロッジ風で露天もあって」。
自分が撮影していたスマホにあったY温泉の写真を見せる。
Iさん「あー、きれいになってるー!」。
Iさん「私、Y温泉に行く途中、○○交差点の角が実家です!」。
だま「あら・・・そうなんですかー!」。
Iさんは引き継ぎの時間も忘れて驚いている様子。いつもより優しい笑顔がまたかわいいw。
しかし、いろんなところに方々歩き回っていると、こんな偶然があるのが嬉しい。
さ、シンプルな病院食にも慣れてきたところですが病院での最後の晩餐。
明日は仮退院、月曜日検査結果が問題なければそのまま退院となります。
お昼は冷やし中華!
本の差し入れありがとうございます。
最後の夕食はいかにも病院食・・・。よく噛んで大切に頂きました。
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入院16日目 「マスクが外れて蘇った10年前の思い出と感謝」
http://navona1971.exblog.jp/20909379/
2013-08-09T12:26:00+09:00
2017-07-12T09:58:00+09:00
2013-08-09T12:26:46+09:00
navona1971
腹膜透析に関すること
おお、うれしいなあ。この笑顔を見られる。貴重な楽しみ。この日はなぜか病棟も静かで、珍しく雑談をする余裕があった。
だま「僕、以前にも入院したことがあって・・・」。
Nさん「はい、私もかなり前からここに勤めていますよ」。
だま「じゃあ僕がいた時、10年前もいたんですか?」。
Nさん「いましたいました。ここのあっち(4Fの反対側)を担当してました」。
だま「え、僕そこにいたんです」。
Nさん「あら、じゃあ私、いたはずですー」。
だま「Nさんって旧姓なんですか?差支えなければ?」(既婚者とは聞いていたw・・・涙)。
Nさん「”T”です」。
だま「・・・えっ、あのTさん!」。
Nさん「あはは、覚えています?」
だま「思い出した、というか忘れない。いや、あの時はマスクしてなかったはず」。
Nさん「こんな感じです。(とそっとマスクを外す・・・あの時より痩せてるなあ)」。
おおおおお、あの時のTさんだ!NさんはTさんだったのか!二度も世話になってるww
だま「ほかにIさんとか、Sさんとかいましたよね、あっちのフロアは」。
Nさん「そうでそうです、懐かしいー。みんなまだまだいますよー!」。
なぜTさんのことを覚えていたかというと、
前回入院時、ベッドにてとあることでもう瀕死の状態に迫られ、
どうしようもなく追い込まれた時、優しく声をかけて救ってくれたのがTさんだった。
何があったかは恥ずかしくて(みっともなくて)ここには書けない。
一生の恩人は誰?と聞かれたら間違いなく俺は彼女なんです。
Nさんにとっては単なる珍しくもない医療行為の一環なのだろうけど。
とにかく細やかな気配りと、優しさに助けられた。ということで俺が覚えていた、
と一通り説明すると・・・Nさん「そうだったんですか、つらいですものね・・・」。
彼女にとっては数百、数千と出会うただの患者のうちの一人だけども、
僕にとっては人生初の入院で舞い降りた天使みたいな人だったんです。
だま「あの頃は忙しかったよね。今も大変だけど、あの時よりは・・・」
Nさん「そうなんです、本当に大変でした。3交代制でクタクタで人数も少なくて」。
だま「あの頃の記憶があって、ナースコールも遠慮しちゃってね」。
Nさん「だまさん体も頭も自分で洗ってますけど、やりますから声かけてくださいね」。
あー、泣ける。なんでこんなにやさしいんだろう。
ちなみになんとまさか俺とわずか3歳差・・・見た目めっちゃくちゃ若いんだけど。
普通これだけ忙しいならやつれて老けたりするのにな。
10年経って結婚して一層美しくなって相変わらず性格のよいNさんと、
10年経っても独身のままで病気を悪化して入院する俺・・・どうしてこうなった(´;ω;`)ウッ…
さすがに情けなくて鬱になるわ。
いや、もちろん最低限仕事はしっかりやってきたけど(当たり前か)。
ため息をついた俺がよほど寂しく見えたのか、Nさんが気遣う。
「また明日の夜も私ですから、よろしくお願いします」。くー・・・優しい。
「だまさんが書いていたっていう当時の闘病記読みたい!」。
そう、日記に残しておいたから、Tさんの名前も憶えていたんだよね。
退院したら久しぶりに開いてみようと思う。
この日のお昼はツナとタマゴサンド。おいしかったなあ。
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入院15日目 「いよいよ最終段階、機器を使った腹膜透析(APD)へ」
http://navona1971.exblog.jp/20909364/
2013-08-08T16:23:00+09:00
2017-07-13T06:13:08+09:00
2013-08-09T12:22:59+09:00
navona1971
腎不全・腹膜透析のこと
こんなスタイル。CAPD方式で、点滴棒に透析液をひっかけて、
高低差で体に注入するものです。実際に自分が今後やるのは、機械で
自動的に行うAPDですけどもね。原理は同じものです。
・透析液(少量、0.5リットルくらい?)を注入→すぐに排出(1回目)
・透析液(中量、1リットルくらい?)を注入→すぐに排出(2回目)
・透析液(全量 1.5リットル)を注入→すぐに排出
・透析液(全量 1.5リットル)を注入→4時間留置→排出
まあ、体を腹膜透析に慣らす、痛みがないか確認する、って感じで。なにせ結構な量の透析液を体に入れるわけですからね。
オレは長身でデブだから目立たないし自覚あまりないですが、
痩せている人や小柄な人は場合により負担感あるかも知れません。
で、の試行を数日続けた結果、僕の腹膜が透析に耐えうることが確認された。
いよいよ今日からは、APDという、機械を利用して寝ている間に透析を行うことに。
(まあもちろん、それを昼間やってもいいんですけど、長時間ですから原則夜間ですよね)。
機器は下記の画像に貼ってあるもの。バクスター社の「ゆめ」という機器です。
大きさはひと昔、いや、登場当時のビデオデッキくらいの大きさで、
重さは10kgを軽く超える程度です。寝ている時の体の位置と大差ない高さの場所に置きます。
(あと、使用済の透析液を貯めるプラスチック製のタンク(10ℓくらい入るサイズ)も
「ゆめ」の横に置きますので、併せれば畳半分くらいの場所は確保する必要があります。
この「ゆめ」の上に透析液が乗せられ、管を経て、僕の体の中に進み、腹膜へ至る。
寝ている間、1.5ℓ注入→約2時間留置→排出を3度繰り返す(トータル7時間)。
これを機械がすべて自動的に行ってくれる。僕はただ寝ているだけでいい。
もちろんセッティングなどの準備作業は必要だけども。
S准教授が「テレビの録画予約みたいなもの(手間的に)と言っていたのには納得)。
(まあ実際準備するとそこまで簡単ではなかったけども、表現の気持ちはまあわかる)。
ちなみに、カテーテルは、左の脇腹から小さく出ている。先にはキャップ(弁)がついており、
コンパクトです。大きさの参考用に目薬を隣においてみました。
使っていない時は医療用テープなどでおなかに貼り付けておく感じです。
(あまり同じところに続けて止めていると肌がテープに負けてしまいます)。
退院も近づいてきました。ようやくです。
これが腹部のから出ているカテーテル(10cmくらいか)の先にある弁。
常に必ず清潔に保つ必要があります。あまり自信ないけど。
腹膜透析(APD)用の機器。バクスター社の「ゆめ」。これが貸与されます。
費用面での心配はありません。かなり大きいので、利用される方は部屋にスペースの確保が必要。
■補筆
透析液は2週間、もしくは1か月間隔で自宅へ運送業者が配達に来ます
まとめての配達なので、ダンボールの量がある程度ありますからご注意を。
オレは玄関で引き取ってましたが、希望があれば業者さんは部屋の中まで運んでくれます。
かなり重たいですからね。ですが、配達時不在は厳禁です。どなたかの在宅が欠かせません。
(配達日時、個数などはメーカーから電話があり、自宅の在庫数を確認し、打ち合わせのうえ決定)。
※ちなみにこれはオレが利用していたバクスター社の場合です。
自宅に保管スペースの確保が必要です。また、梱包ダンボールやビニール、
使用後の透析液の袋なども一般ごみ(分別のうえ)として捨てることはできますが、
(医療用廃棄物扱いではない)、かなりの量になりますので、それらの処理も多少手間です。
分別の内容については、自治体によって異なると思いますので、ご確認ください。
体から出た使用済の排液は家庭より下水への廃棄が可能です。
なお、透析費用については、透析が開始となると、特定疾病療養受療証
発行の手続きを行うことになります。それが発行されれば、費用は月額1万固定です。
特定疾病療養受療証が発行されるまで、病院は多額の請求を患者にしたりはしません。
(それらはだいたい病院の事務の方などがベッドに説明に来てくれることが多いです)。
その後、障害者手帳が発行されれば、重度障害者医療証も届き、その後は無料です。
これは私の住んでいる自治体の場合の流れですが、多少の負担額の差こそあれ、
基本的にはあまり全国で変わらないと思います。
詳しくは病院のソーシャルワーカーや自治体窓口へご確認ください。
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入院14日目 「美人看護婦再び・・・と、時代の流れ」
http://navona1971.exblog.jp/20902683/
2013-08-07T21:25:00+09:00
2017-07-12T09:58:00+09:00
2013-08-07T21:25:12+09:00
navona1971
腹膜透析に関すること
昼間、病棟にある図書コーナーへ。ここは10年前入院した時は喫煙室だったはず。オレは非喫煙者だけど。
今は建物内では吸えません。これも時代の流れですね。
そこで「こち亀」を手に取り読んでみる。僕も一時集めてたからね。
いやー、やっぱ昔の両さんは面白いよね。数冊病室へ持ち帰り、思わず吹き出しつつ読む。
特に30~60巻くらいがお気に入りだったりします。
そうそう、場所柄か、闘病記などの本も多い。
かえって気が滅入るかなと思って選ばなかった。
けども、ちょっと話は飛ぶけど、10年前の入院時、親友のOさんが、
永倉万治さんの大熱血闘病記(1992年刊・絶版)をお見舞いに持ってきてくれたんだよね。
あの作家の永倉さんが脳内出血で倒れ、体に麻痺を残しながらも復帰する---という実話なんだけど。
当時、自分の環境に重ね合わせてしまい、ベッドで泣きながら読んだ。
退院後に知ったのだが、永倉さんはその後、脳出血を再発し、
2000年に52歳の若さで他界していたのね・・・。
サブカル路線の楽しい著書も多く、僕も文庫本は何冊か持っていたんだけど・・・。
あの本では、永倉さんが運ばれた病院は完全看護ではなく、
24時間看護するなら、付き添いの方を別に雇う、というところで、あの10年前ベッドで、
「へえ、ついこの間までこんな貧しい(失礼)体制だったのか」と驚いたものでした。
まあ、10年前のこの病院も、完全看護体制は謳ってはいたけど、夜勤の体制は少人数で、
点滴が空になってナースコールしても忘れられる、なんていうのも珍しくなく、
殺伐とした雰囲気も漂っていたものでした。
そして、2013年、看護体制は手厚くなり、夜勤の人数も増え、ナースコールをすると、
その病室番号が看護婦の首から下げたPHSに表示されるという仕組みに。
さらには病院の建て替え構想も出ているんだとか・・・。時代はどんどん進んでいく。
話は戻り、夜からの担当看護婦はNさん。二度目の担当だが、醸し出すたたずまいが素晴らしい。
たぶんこの病棟では美貌と人的スキルが抜群なんだよな。僕の好みです、はい。
薄化粧でおでこをくっきりだして、髪は真っ黒で、昭和の上品な女優さんみたい。
誰かに似ているなと・・・そう、遥くららの若い頃(例えが古すぎるだろw)。
30代半ばくらいかな。
すでに消灯となり、これを書くため、
食堂へ行くのに暗かったので病室の入口に手をあてて寄りかかったら、
たまたまNさんが近くにいて「大丈夫?」って言って俺の右腕に触れて。
これが本当にやさしい触れ方で、つかむ、にぎる、というより、手を添える、という感じで。
この言葉とともに心に染み入りましたわ。正直一瞬泣きそうになったww。
あー、俺何年も赤の他人にこんなに優しくされたことねーわ、という感じでw
なんていうの、「大丈夫」って、ただ淡々と言っただけでなく、
そこから本当のやさしさが染み出ている感じがするのよ。
うん、これは雰囲気でわかるんだ。
退院までにもう一回Nさん担当してくれないかなあ。
ところで透析の方は、前日のブログにも書いたように、
1.5リットルの留置を今日も行った。一昨日までのように、
透析液を注入しすぐ排出した時と違う体の変化を感じた。たいして食事をしなくても満腹感がある。
やっぱり注入した透析液に腹部が押されるんだろう。
だって、僕がこの病院食以外に食べ物を食べたいと思わないなんておかしいしw
朝、病院内のコンビニで新聞を買ったついでに80カロリーアイスを手にとったが、
部屋に戻ったら食べたいとまで思わなかった・・・。いつまで続くんだろう、この感覚。
昨日看護婦さんに話すと、やはり透析液が影響しているらしい。
まあ、少ない食事で満足になるなんて減量しなければならない俺にはもってこいだよw
たぶんあっという間に慣れて、また食べなくなる生活になりそうだが。
ちなみに、永倉さんの本をくれた親友Oは、四年前不慮の事故で急逝しました。
このこともあるから、透析になっても、生きていれば、って思うんです。
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入院13日目 「いよいよ透析液の留置開始」
http://navona1971.exblog.jp/20901060/
2013-08-06T23:12:00+09:00
2017-07-12T09:58:00+09:00
2013-08-07T13:11:59+09:00
navona1971
腹膜透析に関すること
今日から、お腹にきちんと留置してみることに。
スケジュール的には日中4時間おきに、注入→4時間留置→透析液排出(繰り返し)とこんな感じ。
これは腹膜透析の手法のうちのCAPDといわれるスタイルです。
(実際に僕は退院すると、夜間寝ている間(のみ)に機械で行うAPDを行います)。
透析の仕組み、メカニズム自体はどちらも同じです。
僕は会社に行くし、さすがに昼間透析はできないので、APDとなります。
話は戻り、トライアルも順調なお陰で退院スケジュールが固まりつつある。
主治医のO先生によれば、今度の日曜退院、その日曜から翌朝にかけては自宅での初めての透析、
そして月曜日に病院へ改めて出向く、と。特に問題なければそのまま退院とのこと。
APDの医療機器メーカーであるバクスター社の担当者を紹介され挨拶。
だんだんと退院が現実味を帯びてきた。
午後、主治医のO先生の兄貴分で、いつも外来で僕を診てくれていたS准教授が。
多忙なのに、わざわざいつも僕のところに立ち寄っては、様子を伺ってくださる。
S准教授とはもう10年間変わらず診て頂いてたんだけど、人柄が素晴らしく、気も合う。
弟子、弟弟子にあたるO先生以下チームみんなにも教育が行き届いていて頭が下がる。
知識技量は言うまでもなく、人として大切な「相手の立場にたって考える」ことができる。
透析自体を前向きに考えないと、手を尽くしてくれたみんなに失礼なこと。
S准教授はこれまでただの一度もネガティブな発言は僕にしなかった。
それに応える姿勢をこちらも見せていかないと。
いや、母には「気の毒だ」と言われ、父は心配し、
姉からは泣かれと・・・。もちろん透析しないにこしたことはないし、残念なことではある。
でも、ここまで来た以上仕方ないし、ここからどうするのか、を考えないと。
最終的には生体腎移植が視野にあるが、まだ夢の段階だ。
とにかく透析と付き合っていかねば・・・。
本人はそんなに悲観はしていません。まあ結婚はあきらめたけどさww。
あ、そうそう
この日からスマホ(ドコモ)のネット接続速度が急速に低下。
なんで?昨日までLTEだったのに。今もLTE表示されているけどなあ?
これじゃデザリングなんて無理無理。なんで?と思ってすぐハッとした。
データ量をチェックすると、3GBを超えていたため、速度制限がかかってて。
ドコモに連絡し制限解除を依頼。この月だけ金額がちょっと上がるけどしゃーない。
時間潰しにはスマホが最適だし。サービスセンターへ連絡するとすぐ制限は解除された。
どうも自宅ではWi-Fi環境なんで普段はデータ量伸びないんですよねえ。
病室でニコ動やYouTubeをここんとこよく見ていたので、それなら上がるのも納得です。
画像はこの日のお昼・・・オムレツ(大切に頂きましたよー)
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入院12日目 「会社からみんながお見舞いに」
http://navona1971.exblog.jp/20894694/
2013-08-05T22:54:00+09:00
2017-07-12T09:58:00+09:00
2013-08-05T22:54:50+09:00
navona1971
腹膜透析に関すること
明日からは短時間ながら、透析液をお腹の中にある程度の時間、留置させます、と主治医のO先生。
それらの話を終えたあと、やんわりと退院の時期を尋ねてみると、
先生「あと、一週間から10日くらいですね」と。
明らかに落胆する俺。
でも「順調なんですよ。もっとかかりますよー」と。
その後、今日の日勤で担当となったナースのIさんも、
「あら、私も早いと思いますよ、同じ患者さんでも、もっと時間かかってますし」と。そうか。
焦りは禁物ですね。
I嬢に血圧を測定してもらうと、いつもより高い値が。
I嬢「だまさんこんなに高かったでしたっけ」。
だま「いや、人に測られるとダメな時が。あとで電子血圧計で測ります」。
もともと男女限らず、白衣を見ると血圧が上がる俺。
外来の時からそうで、いつも先生には待合室にある電子血圧計の測定結果を印字して
持参してたんです。そのうえ、I嬢の手はかなり温かく、
腕をその手で押さえられると緊張するんだよw I嬢はかなりの美人でだしw
夕方、会社から直属の上司のS氏、同期のM嬢、後輩のG君、
総務部長のT女史が一緒に病室へお見舞いに来てくれる。
日比谷花壇のお花とプレゼントも頂き、恐縮。
あぁ、やっぱり顔が綻んでしまう。みんなに会いたかったしな。
静岡出張とそして早めに頂いた静養のための夏季休暇を経て入院なので、
みんなに会ったのはすでに18日ぶり。ずいぶんと間が空いてしまった。
一番気になったのはいない間に担当地域でちゃんと売り上げが上がっているか。
幸いにも、堅調な数字が出ているそう。会社の経営も今のところは落ち着いているので、
入院するなら今の時期がよかったんだろう。
「結構だまさん宛の電話多くて、中には”どうしたんですかだまさんは”って、
身を乗り出すがごとく聞いてくる人もいたのよー」とT女史。
あぁ、でも心配してもらえるのはありがたい。
そう、ちょうど社内の電話運用の内規を変更して、営業以外も外線電話をとって対応
することになったのと僕の入院が重なり、僕も社員全員には入院を伝えていなかったので、
「なんでだまさんはいないの?」みたいな話が飛び交っていたらしい。
特に親しい一部のお客様には伝えてはいたのだけれど・・・。
僕が入院したことを全社メールで上司が流していたのはそれが理由か。
なんでわざわざ、と。恥ずかしくて。
あぁ、早くこうやって普段会社で話しているように戻らないと。
いい気分転換になったわ。その焦りとともに、
安心して休んでいい環境にしてくれている会社に心から感謝。
ブラック企業が蔓延る昨今において、それには程遠いスタンスなのは立派なこと。
この環境と、会社の存続が両立できるよう、退院後は頑張らないとね。
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入院11日目 「とりあえず順調」
http://navona1971.exblog.jp/20889998/
2013-08-04T22:04:00+09:00
2017-07-12T09:58:00+09:00
2013-08-04T22:04:15+09:00
navona1971
腹膜透析に関すること
腹膜透析に支障がないか推移を見守られているところ。
すくなくとも腹膜透析に関しては難度は高くない。高齢者でもやられている方がいるし。
手順は簡単だが、清潔に、確実に行うことが大事だなとも。
あと、オレはS准教授の助言により、母親からの生体腎移植を受ける検討をしているから、
この透析は移植によって一時的なものになる(予定)。
だからこそ腹膜透析にしたというのもある(腎機能の劣化に優しいから)。
S准教授は「現在の医学では、腎不全には移植が最適の方法」と。
S准教授は非常に優秀な方だが、人員的な都合でこの大学病院では腎移植はやっていない。
「某大学病院の腎泌尿器外科の某教授に紹介状を書きますので、移植はそちらで、
実績も多く優秀な方なので、ぜひ検討してみてください」とも。
母はドナーになる気持ちのようです。申し訳ない。
こんな身になってしまってね、それについては努めて前向きに考えつつも、いろいろよぎる。
でも、生きてるだけいいなと。死んだら終わりだものね。
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