歩け歩け

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今日は、上司の家で行われるある工事の見学のため、
彼の自宅がある高津区の久地へ行く。天気はまずまずだ。

歩いて駅へ。とにかく歩こう。今日はそうする。
東横線で自由が丘。いつのまにかエスカレーターの工事が進んでいる。
大井町線で二子玉川。しかし歩いている人はみんなキレイ。
まさか手ぶらで・・・というわけには行かない。
玉川高島屋の地下へ。確かお子さんがいたはず・・・と思案した末、
アンリシャルパンティエのケーキにする。

彼から言われるまで気づかなかったのだが、
246号が通る新二子橋は歩道があるとのこと。
てっきり車道だけしかないと思っていたんだ。
高島屋の裏に回るとスロープがある。よかった。階段じゃなくて。
携帯のナビで測定すると久地までは3.5km。余裕だね。

結構高さがある。歩く人は皆無。横は車がびゅんびゅん。
遠くには駅が見え、眼下には河川敷で遊ぶ人々の姿。家族連れが目立つ。
そうだよねぇ。俺もいつまでも独身ってわけには・・・でも相手おらん・・・。
そうこうするうちに久地へ。
普段は会社で会う上司とこういうところで会うのも不思議な感じ。
まぁ部署が違う、わては営業、彼は開発だからね。部下と上司というよりは、
やや同僚に近いのかな。現地で待ち合わせしていた副社長も合流する。

で、工事を見学。これだけで終わりかと思っていたのだが、そうではなかった。
居間にわざわざ招かれ、おいしいお茶とお菓子を頂く。恐縮。
奥様は彼にふさわしい、真面目で、おとなしそうな、控えめな方であった。
再び外で工事の様子を見守る。そこに彼のおじいちゃん(85歳)登場。
元気でびっくりする。言葉もしっかりしているし、耳も衰えていない。
今でも車に乗るそうだ。
免許返上を申し出たら警察から「大丈夫でしょ」って言われたとかw

見学を終えたあと、彼とおじいちゃんと、副社長と、わてで近所を散歩。
このあたりは「梅林」というのだが、昔はその名のとおり、梅林が続いていたそう。
もともとご実家は農業で、梨や桃を栽培していたそうだ。
おじいさんの話によると、桃は岡山、梨は山梨が有名。
でも当時はそこから東京へ新鮮なままで運ぶ技術がないため、
川崎の果物は東京の人におおいに好まれたらしい。
そういえば、綱島でも桃は栽培されてたね。

目の前には府中街道。ここも以前は大八車がとおり、車輪が石にあたる音が
しょちゅう響き、活気ある道だったらしい。当時は登戸に橋がなく、稲城や生田方面
から都心に行くには府中街道で二子橋に出てから東京方面に進んだそう。
「瀬田の坂道はきつかったよ。兄と荷車を押してね」と昨日のことのように
ふりかえるおじいちゃん。説明はとてもわかりやすい。

最後は二ケ領用水の円筒分水へ。
今回は居間にカメラを置いてしまって散歩に出たため、
円筒分水の画像は川崎市のWEBから拾ってきました。円筒分水とは、
水を均等にわけるために、サイフォン式で水を中央部から噴出させる仕組み。
耕地面積の比率にあわせて仕切りを作ることで、不公平なく、水が行渡る。
遥か昔は水を求めての争いで血を流すこともあったと聞くしね。
そういった悲劇の末に生まれた英知だね。国の文化財にも指定されてる。

ふたたび彼の家に戻る。娘さんがおけいこから帰宅。かわいらしいOLさんだ。
「めちゃくちゃお父さんにはお世話になっています」とお礼をするが、
「めちゃくちゃ」ってのがいかにも馬鹿そうで思わず口に出た自分が本当に馬鹿。
でもね、本当にめちゃくちゃ世話になってるの。だからつい本音がね。
高度な技術的な問題でもいつも噛み砕いて教えてくれるしね・・・。

居間で再びおじいさんのお話。出征後は中国を転戦し、上海から引き揚げてきたそう。
日本の地を踏むまで、1年かかったとか。以下はおじいさんの話。
「偵察隊がね、車に乗って先方を哨戒に行くんだけど、よく敵にやられるんだよね」
「それまで一緒に戦ってた人が、死んでしまう。
私も紙一重だった。危ないことは何度もあった」
「戦争を終えて3日後に米軍のジープを見た。
こんな奥までこんなに早くこられるわけない、錯覚かな?と思ってると、
空港にとまってる飛行機から続々車が降りてくるんだ。
これを観て”あぁーこれじゃ勝てないわけだな”なんて感じたりしたんです」
「今こうやってのんびり過ごしているけれど、戦争で死んでしまった人が一番かわいそう」
さすが実際に戦地へ赴いてきた人からの言葉は重い。
数多くの国民が赤紙1枚で召集され、家族との再会も果たせぬままに・・・。

いや、戦争は反対。けれどキレイごとだけでもどうしようもない。そりゃわかってる。
福島瑞穂をみれば「どうしようもねぇなアイツは」と思うよ、わても。
でもね、いつの時代も結局、不幸を背負わされるのは庶民なんだよね。一般の国民。
わての親類も戦争で人生を翻弄された人が数多くいる。
そんな人の労苦の上に今の世の中が成り立ってるんだよねぇ。

だから、こんな平和な世の中で靖国がどうのこうのなんてのが本当に馬鹿らしい。
行く、行かないは自由。人々の心の中の問題。小泉さんの言う通り。
そういや小泉さんも特攻隊の記念館を見学して涙したっけ。
わてもおじいちゃんの話を聞いているうちに涙が出てきそうになるのを必死にこらえた。

ただ、戦死者の魂が全て靖国にあるなどいうのは靖国神社の勝手かつ強引な論理。
多くの人は靖国からは遥か遠い地で屍となってしまった。故郷、家族を想いつつね。
それらを一緒くたにして「靖国で祀ってます」だと。余計なお世話だっつうの。

誰が言ってたね。戦争で亡くなる人が最後に何を話すのかと。
「天皇陛下万歳」ではなく殆どが「お父さん、お母さん」であったと。

「ゆきゆきて、神軍」の奥崎氏があんな風なキレ方をするのもわからんでもない。

ちなみに奥崎氏についてはここが詳しい。
by navona1971 | 2006-04-22 20:05 | とりとめもない話 | Comments(0)