ここ数日のとりとめもない話(快気祝・神谷町・記者時代etc)

■水曜日
いやいやどうも。
今回、改めて職場に戻って感じたのは、
5月の復帰が自分には少し早かったのかも知れない、ということ。
腎生検(※欄外注)という、移植後最初の一番大事な検査の結果を聞いた直後で、
精神的に緊張していたり、ブランクへの不安、風邪も引いた。
梅雨を控え妙に気候も暑くなりはじめて、でも冷房はまだ弱いーーー。
という複合的な要素が重なったことを割り引いても。

今回再び入院と静養で、体力にはあまり自信がなかったのだが、
体は前回復帰時よりも筋肉が落ちているはずなのにかなりラクで、
やっぱり、移植後、今ようやく本当に回復し、慣れてきた頃なのかな。と。
前回ももちろん主治医の許可をもらっての復帰だけども。
主治医も「いろんな意味で落ち着いてくるのは移植後1年」と言っていたし。
まあ、そうした感触に慢心しないように過ごします。
e0078069_18513223.jpg
この日帰宅すると、オレ宛に贈り物が届いていた。
取引先のIさんから。「快気祝」と熨斗紙が。申し訳ない。
とても素敵な品を頂戴しました。ありがとうございました。
細やかなご配慮、嬉しいです。長期不在ですぐまたダウンで、
お客様にはご迷惑をお掛けしてしまい・・・。
こうやってわざわざ気にかけてくださる方がいるのは、励みになります。

■木曜日
今朝も相変わらず東横線は混んでいる。
朝、7時ちょっと過ぎに自宅最寄り駅にいるのだが、もうホームは人でぎっしり。
以前は「混んでようが乗れば速い急行や通勤特急!」って感じだったけど、
今は「遅くていい。少しでも空いている電車で」。

今朝乗ったのは通勤特急森林公園行(超混み混み)の次の各駅停車渋谷行。
急行に2本抜かれる+渋谷止まりってことで、比較的空いている(それでも混んでるが)。
通特は小杉、自由が丘、中目黒しか停まらないし、乗りたくなる気持ちはわかる。
副都心線と直通運転をしている現在は、渋谷止まりの電車は折り返すから、
下り横浜方面のホームに進むので、オレのように副都心線方面へそのまま行く人はぐるりと、
反対側のホームに迂回しないといけない。朝の混雑時にそれは嫌なので、
渋谷の一つ前の代官山で降りて、次の和光市行を待つ。

ホームに降りると目の前には代官山アドレスがそびえ立つ。
これ見ると「やまとなでしこ」を思い出す。桜子さん。
ドラマの中で”ここに住んでいるふりをして
実際は近くのボロアパートにいる”っていう設定だったよね。
あのアパートはドラマでボヤ騒ぎがあったが、その後本当に火事に。
焼ける前に見たことあるけど、ドラマのまんま。恵比寿駅近くにあった。
あぁ、欧介さんが桜子さんの服を取りに炎の中突進するシーンはここか、と。
桜子さんが引き止めるのかと思ったら取ってくる服の種類を指示した、っていうw

面白かったなー。押尾学が出てるからお蔵入りになって再放送されないしw
ってオレはDVDBOX持っていたりする。いつでも観られるのよーん。
松嶋菜々子はともかく、当時の矢田亜希子のかわいさは破壊力抜群だった。
今みたいなカラコン、メザイクぱっちりのわけわからんメイクじゃなく、
ナチュラルでさ、この頃の化粧っていいわ。素材が生きるし。
そーいや桜子さんの真似して同じケータイ持ってた(きんもーっ☆)。
P209is。カメラなんてもちろんついてない。時代だよねえ。
あれから出演者もオレも歳を取った。もう17年前。
桜子さんに憧れて婚期を逃した女子も結構いそうな予感w
人のこと言えねーけどw
e0078069_18514218.jpg
しばらく内勤が多いが、今日は社内システムの運用説明会があって、
アプリケーションを提供している会社がある神谷町へ。久しぶりに。
今の会社で港区は担当したことが少なく、最近あまり来る機会がない。
神谷町といえばここで大きな被害が出たオウム真理教の地下鉄サリン事件を思い出す。
当時姉の職場の最寄り駅でね。出勤時間が遅かったから助かった記憶が。
オレも記者時代だったので、霞が関の運輸省記者クラブへ直行する日々。
だが、あの日は月曜日で、朝、会社で編集部の定例会議があったから難を逃れた。
地下鉄が止まったんで会社のある外苑前からタクシーで運輸省へ行く時、
「なんか駅で爆発があったらしいですよ」とドライバー氏。
最初は情報が錯綜してね。のちに出来事の大きさが明らかになっていった。
e0078069_18514680.jpg
ごめん、急に話がずれるんだけど、この段落を除いた文章量を今測ったら、
1935文字。原稿用紙5枚分。ざーっと書くので、たまに誤字脱字があると思います。
気づいたら後日修正したりはしているのですが。

記者時代のことを書いたら思い出して。もっと書きたくなった。
記者クラブで上司によく怒られたんですよ。「キミは文章が短い」と。
「とにかく長く書いて、そこから減らしていくものだ」と。あと、
結局、長く書けないってことは取材対象をわかってないし、自分も理解してない。
ごもっとも。でも、わかんないよ、経験も知恵もないし。手探りだった。
物書きとしてのセンスに見切りをつけて他業界に行ったのは正解でした。

やっぱり、目の前に完全に力が上、届きそうにない人を見ると諦めるものw
所詮業界紙ではあったが、執筆に関しては周囲に実力者が揃っていた。
紫煙をくゆらし、時に酒を呑みながらスラスラと綴る、そんな人がまだいた時代。
物書きが名残惜しいわけではないけど、書くこと時代は嫌いじゃないので、
こうやって細々とブログを続けています。

でも記者時代は楽しいことも多かった。
普段の生活じゃ会えない人に会えたり、行けたりするし。
会えて一番感激したのは、ヤナセの会長、故・梁瀬次郎氏。
ヤナセを日本最大の自動車輸入企業に育て上げ、米自動車殿堂にも選出された。
当時は、輸入車が人気で、様々な企業が新規参入していた頃。
一方で、見込みが甘く早々に撤退するケースもあって、安易な経営姿勢も問題に。

梁瀬さんはそれを嘆いて「この業界は上野公園の花見だよ、華やかだと
バーっと集まって騒いで、花が散れば消えてしまいゴミが残る」と。
自動車がまだ信頼性の低い時代からコツコツ売ってきた梁瀬さんとっては、
それは許しがたいことだったんだろう。輸入車組合の会長でもあったしね。
儲かる話を行けば殺到ってのは、中国人観光客への対応とか、
今の日本にも通じるところはありますね。

上司と同席しての梁瀬氏へのインタビューで、名刺を見ながら、
「だまくんというのか、おかあさんを大切にしなさいね」と一言。
?と思ったが、その後著書「ひとの匂い」を頂いた。
冒頭、梁瀬さんの子供の頃のことが書かれていてね。
野球に明け暮れて勉強もせずに帰宅して父親に激怒され放り出された梁瀬氏の
あとを、母上が追ってきて、家の周りをゆっくりと一緒に歩いてくれたそう。
そしてしばらくして「さあ、もうお父様の機嫌も直っているでしょう、
そろそろ帰りましょう」と手を引いて導いてくれた、と回想していた。
その優しさに母の深い愛情を感じ、忘れられない、と書かれていて。
自分への言葉は、この本に綴られていることでもあったんだね。
まあ、その大切さに気づくには、オレはもう少し時間を要したけども。
あの時点で梁瀬さんはもう70代半ば。それでも想うことは親なんだね。
e0078069_19015543.jpg
記者時代は運輸省と同じ建物にあった建設省も一時期担当。阪神大震災の時に書いた記事の切り抜き。
断捨離して身の回りはスッキリしているが、当時書いた記事はある程度残していて、
それはたまに読み返して、「しんどかったなあ」と思い出す。
今ならもう少しきちんと書けただろうな、とか。まるで子供だったからね。

ごめん、だいぶ話が脱線してしまいました。元に戻してーーー。
このあたりもランドマークだった虎ノ門パストラルが消え、テレ東も移転。
やや古い町並みが残っていた裏手も虎ノ門ヒルズやマッカーサー道路ができて、
だいぶ雰囲気が変わってきた。最近の東京はすぐ風景が変わります。

なんか今日は長く書いてしまった。読みづらくてごめんなさい。
それでも原稿用紙たった9枚分。小説家なんて信じられないです。

※腎生検(じんせいけん)
腎臓に局所麻酔で腹部から細い針を挿し、その先端で微量の組織を採取し、
自覚症状のない移植における拒絶反応や、腎臓の状態を詳細に把握する。

by navona1971 | 2017-07-20 19:12 | とりとめもない話 | Comments(0)